もう1度ラストチャンス
*
「涼美、ごめんねー」
駆けつけた市民病院の病室で、祖母は呑気そうな顔をしていた。今朝、掃除をしている時に転んでしまった祖母は、立ち上がろうとしても脚に激痛が走りとても立てそうになかったので、這って固定電話のところまで行って、自分で救急車を要請したらしい。さっき主治医の先生から聞いた話では、お年寄りに多い大腿骨頸部骨折だそうだ。手術は明後日の午後から。看護師さんから入院生活の説明を聞いて、入院の手続きをした。
手続きを終えて病室に戻ると、祖母とリフォーム業者の彼が楽しそうに話をしていた。
「あ、涼美、ありがとね」
「大丈夫よ。今から帰って、必要な物を準備して来るわ」
「ごめんね、せっかく来たのに面倒かけて」
「いいの、いいの。どうせ今仕事してないし」
「本当に悪いわね」
無職で居候するのは心苦しかったから、祖母の介護する役目が与えられて、少し気持ちが楽になってるんだけど。
「リフォームのことも困ったわねぇ。匠くん、ごめんなさいね」
「僕のことは気になさらないでください。具体的なプランはこれからでしたし」
「それにしても困ったわね。しばらくは入院生活だし」
「今は手術とリハビリのことに専念してください。それからでも遅くはないですよ」
「本当に悪いわねぇ」
「おばあちゃん、もう急ぐとこはないみたいだから帰るわね」
放っておいたらいつまでも話し続けそうだから、間に割って入ると、2人はようやくわたしを見た。
「僕もそろそろお暇します。長居してすみません。小林さん、また来ますね」
「2人とも、今日はありがとう」
祖母の声に見送られて、わたしたちは病室を後にした。病院の出入り口に向かう途中、すれ違う女性の看護師さんや患者さんたちが、やたらこっちを見ている気がする。でも視線の先はわたしじゃなくて、隣にいる彼に注がれている。チラリと横目で確認してみる。今までは興奮してたり、慌てたりしててよく見えてなかったけど、落ち着いて見たら、彼は背が高くて、顔が小さく、整った濃すぎない眉毛、目は二重まぶたで綺麗なアーモンド型。パーツがほどよく配置されている。この地方の田舎街に不釣り合いなくらいのイケメンだ。そりゃ女が放っておかないか。祖母も彼を目の前に嬉しそうだったっけ。
「あの、何か用ですか?」
「え、あ、いや、その。あ、そうだ、名前!」
「名前?」
ガン見していたのに気づかれたらしい。慌てて言ったら、彼の顔はハテナマークがいっぱいになった。
「そう、名前!まだ教えてもらってない!」
「名刺、渡しましたよね」
「えっ、名刺!?」
名刺なんてもらったっけ?そうだ、家の前で言い争いになった時に渡されたんだった。慌ててバッグの外ポケットを探った。出て来たのは、わたしの手によって、くしゃくしゃに握り潰された名刺。
「酷いなぁ」
「ごめんなさい」
クスクス笑う彼に見られながら、名刺の皺を伸ばした。
「だん……?」
「だんじょうばら、たくみ、です」
弾正原匠、それが彼の名前だった。
「えと、立原涼美です。弾正原さん、今日はいろいろとご迷惑をおかけして、本当に申し訳ないです」
「いろいろ……大変だったけど、迷惑だなんて思ってませんから。それと、匠でいいですよ。弾正原なんて堅苦しいでしょ?」
「でも」
「いいんです、小林さんもそう呼んでくれてますから」
「はい、じゃあ匠さん」
躊躇いながら呼んでみると、彼はまたクスクス笑っていた。
「『匠さん』なんて、他人行儀ですね」
「いや、他人でしょ」
「あれだけ僕のことを不審者とか、詐欺師呼ばわりして、警察呼んだり、僕の上司を巻き込んだり、もう他人とは言えないでしょ」
「うっ。そのことは本当に申し訳ないと思ってます」
「いいですよ、済んだことですし」
「だったら蒸し返さないでよ!もう会うことがない他人でしょ」
楽しそうに微笑む顔を見て、揶揄われたんだと気づいた。初めて会ってから数時間しかたってないのに、こんなふうに揶揄われてちょっとムッとしたけど、そのまで腹を立ててない。育ちが良さそうな穏やかな雰囲気のせいだろうか。それにかわいい系イケメンオーラ……。自分は人を外見で判断するような人間じゃないって思ってたけど、イケメンフィルターに弱いのかと気づかされてガックリと肩を落とした。
「僕がリフォームを担当するから、涼美さんとは何度かお会いすることになります。全くの他人よりは親しくなると思いますよ」
「そうですね」
そうだった。祖母の家でも、わたしが同居?居候?する限り、匠さんと全然顔を合わさないのは不可能だ。悪い人ではないけど、何となく憂鬱だ。わたしの淀んだ気持ちに気づかないのか、あえてスルーしているのか、匠さんはずっとニコニコ笑顔だ。
そのあとは会話も続かず、2人で並んで駐車場に出ていた。
「あ、あの、お送りしたいんですけど、この後別の打ち合わせがあって、それから会社に戻らなくちゃいけないんです」
「あ、いやや、わたしはバスで帰ります。今日は本当にありがとうございます、ご迷惑をお掛けして申し訳ないです」
は、恥ずかしい。
病院に来た時と同じように、てっきり送ってくれるもんだと思って、ここまでついて来てしまった自分が恥ずかし過ぎる。
「置き去りにするみたいですみません。あ、そうだ。涼美さん、連絡先を教えてくれますか?」
「えっ!?」
「ヘンな意味じゃないですよ。小林さんが入院している間は、涼美さんと打ち合わせをしなきゃいけないこともあると思うから」
「そ、そうですね」
仕事のことか。誘われてるのかと思って、警戒した自分が恥ずかしい。恥の上塗りもいいところだ。
「それじゃ、これからよろしくお願いします」
「こちらこそお願いします」
微笑む匠さんに挨拶を返すと、彼が運転する社名が入ったクルマは、静かに走り去った。
「涼美、ごめんねー」
駆けつけた市民病院の病室で、祖母は呑気そうな顔をしていた。今朝、掃除をしている時に転んでしまった祖母は、立ち上がろうとしても脚に激痛が走りとても立てそうになかったので、這って固定電話のところまで行って、自分で救急車を要請したらしい。さっき主治医の先生から聞いた話では、お年寄りに多い大腿骨頸部骨折だそうだ。手術は明後日の午後から。看護師さんから入院生活の説明を聞いて、入院の手続きをした。
手続きを終えて病室に戻ると、祖母とリフォーム業者の彼が楽しそうに話をしていた。
「あ、涼美、ありがとね」
「大丈夫よ。今から帰って、必要な物を準備して来るわ」
「ごめんね、せっかく来たのに面倒かけて」
「いいの、いいの。どうせ今仕事してないし」
「本当に悪いわね」
無職で居候するのは心苦しかったから、祖母の介護する役目が与えられて、少し気持ちが楽になってるんだけど。
「リフォームのことも困ったわねぇ。匠くん、ごめんなさいね」
「僕のことは気になさらないでください。具体的なプランはこれからでしたし」
「それにしても困ったわね。しばらくは入院生活だし」
「今は手術とリハビリのことに専念してください。それからでも遅くはないですよ」
「本当に悪いわねぇ」
「おばあちゃん、もう急ぐとこはないみたいだから帰るわね」
放っておいたらいつまでも話し続けそうだから、間に割って入ると、2人はようやくわたしを見た。
「僕もそろそろお暇します。長居してすみません。小林さん、また来ますね」
「2人とも、今日はありがとう」
祖母の声に見送られて、わたしたちは病室を後にした。病院の出入り口に向かう途中、すれ違う女性の看護師さんや患者さんたちが、やたらこっちを見ている気がする。でも視線の先はわたしじゃなくて、隣にいる彼に注がれている。チラリと横目で確認してみる。今までは興奮してたり、慌てたりしててよく見えてなかったけど、落ち着いて見たら、彼は背が高くて、顔が小さく、整った濃すぎない眉毛、目は二重まぶたで綺麗なアーモンド型。パーツがほどよく配置されている。この地方の田舎街に不釣り合いなくらいのイケメンだ。そりゃ女が放っておかないか。祖母も彼を目の前に嬉しそうだったっけ。
「あの、何か用ですか?」
「え、あ、いや、その。あ、そうだ、名前!」
「名前?」
ガン見していたのに気づかれたらしい。慌てて言ったら、彼の顔はハテナマークがいっぱいになった。
「そう、名前!まだ教えてもらってない!」
「名刺、渡しましたよね」
「えっ、名刺!?」
名刺なんてもらったっけ?そうだ、家の前で言い争いになった時に渡されたんだった。慌ててバッグの外ポケットを探った。出て来たのは、わたしの手によって、くしゃくしゃに握り潰された名刺。
「酷いなぁ」
「ごめんなさい」
クスクス笑う彼に見られながら、名刺の皺を伸ばした。
「だん……?」
「だんじょうばら、たくみ、です」
弾正原匠、それが彼の名前だった。
「えと、立原涼美です。弾正原さん、今日はいろいろとご迷惑をおかけして、本当に申し訳ないです」
「いろいろ……大変だったけど、迷惑だなんて思ってませんから。それと、匠でいいですよ。弾正原なんて堅苦しいでしょ?」
「でも」
「いいんです、小林さんもそう呼んでくれてますから」
「はい、じゃあ匠さん」
躊躇いながら呼んでみると、彼はまたクスクス笑っていた。
「『匠さん』なんて、他人行儀ですね」
「いや、他人でしょ」
「あれだけ僕のことを不審者とか、詐欺師呼ばわりして、警察呼んだり、僕の上司を巻き込んだり、もう他人とは言えないでしょ」
「うっ。そのことは本当に申し訳ないと思ってます」
「いいですよ、済んだことですし」
「だったら蒸し返さないでよ!もう会うことがない他人でしょ」
楽しそうに微笑む顔を見て、揶揄われたんだと気づいた。初めて会ってから数時間しかたってないのに、こんなふうに揶揄われてちょっとムッとしたけど、そのまで腹を立ててない。育ちが良さそうな穏やかな雰囲気のせいだろうか。それにかわいい系イケメンオーラ……。自分は人を外見で判断するような人間じゃないって思ってたけど、イケメンフィルターに弱いのかと気づかされてガックリと肩を落とした。
「僕がリフォームを担当するから、涼美さんとは何度かお会いすることになります。全くの他人よりは親しくなると思いますよ」
「そうですね」
そうだった。祖母の家でも、わたしが同居?居候?する限り、匠さんと全然顔を合わさないのは不可能だ。悪い人ではないけど、何となく憂鬱だ。わたしの淀んだ気持ちに気づかないのか、あえてスルーしているのか、匠さんはずっとニコニコ笑顔だ。
そのあとは会話も続かず、2人で並んで駐車場に出ていた。
「あ、あの、お送りしたいんですけど、この後別の打ち合わせがあって、それから会社に戻らなくちゃいけないんです」
「あ、いやや、わたしはバスで帰ります。今日は本当にありがとうございます、ご迷惑をお掛けして申し訳ないです」
は、恥ずかしい。
病院に来た時と同じように、てっきり送ってくれるもんだと思って、ここまでついて来てしまった自分が恥ずかし過ぎる。
「置き去りにするみたいですみません。あ、そうだ。涼美さん、連絡先を教えてくれますか?」
「えっ!?」
「ヘンな意味じゃないですよ。小林さんが入院している間は、涼美さんと打ち合わせをしなきゃいけないこともあると思うから」
「そ、そうですね」
仕事のことか。誘われてるのかと思って、警戒した自分が恥ずかしい。恥の上塗りもいいところだ。
「それじゃ、これからよろしくお願いします」
「こちらこそお願いします」
微笑む匠さんに挨拶を返すと、彼が運転する社名が入ったクルマは、静かに走り去った。