雪国ラプソディー
「どうぞ」
車に戻ると、先に座っていた小林さんが横からペットボトルを差し出してきた。
「お茶で良かった?」
「あっ、すみません。ありがとうございます」
ただトイレに行ってきただけの自分がとても情けない。私って本当に気が利かないな、と手の中の温かいお茶を握りながら俯いた。
「浅見は」
カチ、とペットボトルのふたを開ける音がして、それからカラカラとふたが回る音がする。
「本当に会社辞めようと思ってる?」
「……え?」
まだ発進する気配の無い車の中、ヒーターの風の音と、小林さんのペットボトルの音だけが聞こえる。
「昨日、結構思い詰めてるような顔してたから」
「……」
きっと、ちゃんと話さないと車を動かさないつもりなんだろう。エンジンをかける素振りが無い。
こんな話をして、小林さんに幻滅されてしまわないか不安だ。
「ずっと悩んでいるんですけど……どうしたらいいのか答えが出なくって」
お茶の温もりが、両手をほぐすように優しく暖めてくれる。優柔不断な私は、こうしてうじうじ考えて、ずるずる時が過ぎての繰り返しだ。
もうすぐ4回目の、春が来る。
「私、優柔不断なんです……」
「いいんじゃないか、迷っても。答えを急ぐ必要はないし」
弾けるように顔を上げると、さも何でもないことのように小林さんは言う。
「俺は今、7年目になるけど。浅見くらいのときはよく悩んでたよ。ちょうどそういう時期なんだよな」
懐かしむように呟かれて、不思議な気持ちになった。何でも淡々とこなしているように見えているのに、小林さんにもそんな時期があったのか。
「……俺は今の仕事、浅見に向いていると思うけどな」
「そんなこと……」
「相手のことを真剣に考えられるだろ。素直だし。秘書課は他より人との信頼関係が大事な部署だから、浅見の良いところが生かせると思うよ」
そんなこと、初めて言われた。
小林さんには私がそんな風に映っていると思うと、どうしようもないほど嬉しくなった。
「悪い。昨日初めて会ったばかりなのに少し無責任だったな」
小林さんは、何も言えずにただ見つめる私を見て、優しく笑った。