キミに恋の残業を命ずる
胸が高鳴った。
豆乳がぐつぐつ沸き立つのにかこつけて、鍋をかき回すのに専念しようとした―――



わ…。



けど、急に動けなくなってしまった。

課長がわたしを後ろから抱き締めてきて―――ううん…!抱き締めるように背後に立って、お玉を持つ手と小皿を持つ手を取ったから。


「キミの味を知られる前に、もう一回、味見させてほしいな…」


そして、操り人形のように小皿に汁をそそいで、もう一度すする。


こくり。


耳のそばで嚥下する音が聞こえて、鳥肌が立つくらい低くて掠れた声が…


「美味しいね」


わたしの耳を刺激した。



もう、頭が真っ白になって…。
こめかみがドキドキ鼓動する音しか聞こえなくて…。


気づいたら課長は離れていた。


「そろそろ手伝いの子たちが来る時間でしょ?俺戻るね」

「あ、はい…!ありがとうございました」


エレベーターまでついて行こうとしたけど、課長は微笑んで首を振った。


「いいよ。準備はまだ残ってるでしょ?」

「あの、本当に、本当にありがとうございました…っ」

「大したことしてないよ。運んで切って味見しただけ」


その時、エントランスホールの方から、女の人の声が聞こえてきた。


「じゃあ楽しみにしてるからね」


課長は階段を昇って帰っていった。



「あ、お肉の業者来たよ」

「亜海ちゃんどこにいるんだろ?連絡だれかしといてー!」


にわかににぎやかになったエントランスホール。

忙しい一日が始まろうとしていた。











< 151 / 274 >

この作品をシェア

pagetop