キミに恋の残業を命ずる
「ち…!そういう意味じゃなくて、か、家庭の味をつくってあげますってことでけして」


しどろもどろになりながら言葉にしたわたしは、次の瞬間、息を止めてしまった。

課長の手がわたしの頬を包んだから。

親指が唇をなぞる。

何度かやられたこの動き。
だけれども、これほど息がとまりそうになったのは初めてだった。

いつも余裕の笑みを浮かべているのに、今の課長は見たこともないような、真剣な、熱の籠った眼差しで刺し貫いたから。


「あの夜、キミと出会えたことは。今思えば、これまでの人生の中で一番の幸運だったかもしれないな…」


冗談めいた口調はそこにはない。低く掠れるような声は、自分でも手に余す想いに喘いでいるような苦しさがあった。


「キミがそういうのなら、この関係は半永久的につづくよ。俺はキミを離さない」


張り詰めた表情をしたきれいな顔がゆっくり近づいてきて。
胸が張り裂けそうで苦しくて、息をもとめたかったけれど、唇を開くことはできなかった。
課長の唇が近づいて来ているから―――。


「わ…たし、も…帰らなきゃ…」


どうにか突っぱねようと胸に両手を当てたけれど、


「課長…」
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