キミに恋の残業を命ずる
そのあとは、ファームの中にあるカフェレストランで軽くお茶となった。
亜依子さんと友樹さんの新婚生活を今後の参考に聞きながら話が尽きずにいると、いつの間にか麗らかな日差しは強い西日に変わり、庭園を覆うように広がった空が、すべてを茜色に染め上げていた。
ひさしぶりに見た故郷の夕焼け。
都会育ちの亜依子さんにはこの光景がひどく新鮮にうつったみたい。「写真を撮りに行こう!」とわたしの手を引いて外に出た。
※
「ほんとに綺麗ね」
ため息まじりに亜依子さんがつぶやいた。
朱色に染まってよりいっそう奇麗にうつる横顔を見つめながら、ただうなずくわたし。
「きっと明日もいいお天気ね。式が本当に楽しみ」
「亜海ちゃん」と、ふいに真っ直ぐに見つめられた。
「兄さんのこと、よろしくね」
「…亜依子さん。どうしたんですか、急に」
「ふふ…ごめんなさいね。でも、本当に思うのよ。兄さんの幸せは、あなたと出会えたことそのものなんだって」
「……」
もったいなすぎる言葉にどう返答していいかわからない。
でも、否定はしない。
だって裕彰さんは口癖のように言う。
わたしを頬をとても愛おしそうに大切そうに包みながら、独り言のようにつぶやく。
「キミに出会えてよかった」と。
わたしにそんなたいそうな価値があるとは思えない。けれど、大好きな裕彰さんの言葉は素直に受け入れられる。
こんなわたしでも、大好きな人にとって大切な存在になることができたんだって、心があたたかくなる。
「わたしたちが出て行く時の兄さんの顔見た?『俺の亜海をつれまわすな』って恨めしそうな顔してたわよ。きっと、一時もあなたと離れたくないのね」
ふふ、と笑みをこぼして続ける。
「やっぱり変わったわ、兄さんは。わたしが初めて会った時とは別人のよう」
聞いたことがある。
亜依子さんは最初、お兄さんであると知らずに近づいたらしい。でも裕彰さんは知っていて、複雑な感情をコントロールできず、当初は亜依子さんにつれなく当たったらしい。
「その時はイケメンだからってお高くとまってイヤなヤツ!って心の底から思ったわ。
でも…真相と兄さんの過去を知った時、そう思った自分をひっぱたきたくなった。…兄さんは今までどれほどさびしくて辛い思いをしてきたんだろう、今までなにも知らないで、わたしはなんて馬鹿だったんだろう、って」
「そんな…。亜依子さんはなにも悪くないのに…」
「…ありがとう…。でもね、わたしの周りには気の毒な人が多いと思うから…。兄さんだけじゃない。父もわたしの母も。そして、兄さんのお母様も…」
亜依子さんの言う通り、一番の犠牲者は裕彰さんのお母様だったのかもしれない。
「裕彰さん、言ってました。アメリカでの生活は金銭面ではまったく困らなかったけれど、母はいつも寂しそうだった、って。日本にいた時は正反対で、言葉の通じない国で友達もできず病気がちで加えて貧しかったけれど…でも父がいたから幸せそうだったのに、って」
「……」
「それでも年に数回すごく幸せそうな時期があって、それは決まって日本人の男の人と会っている時だったって。小さいからあまりよく覚えていないのだけれど。今思えば父が会いに来ていたんだな、って…」
「そう…」
亜依子さんは、少しの間遠くの空を見つめて続けた。
「…わたしの母もね、いつも寂しそうだったわ。おかしな話、自分が奪ったくせにね。
父が海外出張に行っている時は、いつもふさぎ込んで機嫌が悪かった。そして帰ってきた早々、自分から売り言葉をふっかけては口喧嘩を始めてた…」
「わたしの気が強い所は母に似たのね」と笑みをもらしたけれど、その瞳は悲しげに曇っていた。
亜依子さんは裕彰さんに負い目を感じていた。
…けれども、亜依子さんだってそんなご両親を見て育って、けして幸せとは感じていなかったのかもしれない。
過去のことはすべて流すと決めている裕彰さんは「できれば来てほしい」と招待したけれど、明日の出席を亜依子さんのお母様は固く辞退した。
出席するお父様や亜依子さんにはなにも言わなかったそうだけれど、その胸の内に抱く想いは、どのようなものだったのか…わたしには容易に想像できやしない。
「母は良くも悪くもお嬢様育ちの可愛らしい人だけれど…恋愛では幸せになれなかったのかもしれないわね…。
父も母を嫌っていたわけではないのだけれど…。やっぱりどうしても、罪悪感からは逃れられなかったのね…」
…それは裕彰さんも言っていた。
俺の存在自体が父の贖罪の証なんだ、と。
聞いた瞬間、あまりの悲しさにわたしは泣いてしまった。
「そんなこと絶対にない!」って泣きべそをかきながら訴えたら、根負けしたみたいに「わかったよ」と笑ったけれども…。
「亜海ちゃん…」
「はい」
「兄さんのこと、幸せにしてあげてね」
女優さんのように綺麗な、でもどこか弱々しげな笑顔で、亜依子さんはわたしに言った。
わたしはふるふる、と首を横に振った。
「ちがいます。みんなで幸せになるんです。裕彰さんもお父様も亜依子さんのお母様も、そして亜依子さんも友樹さんも…これから、みんなで幸せになるんです」
「亜海ちゃん…」
「わたしはそこに加わらせてもらうだけです。頼りないですけれど、不束者ですけれど…お邪魔させてもらっても、いいですか…?」
亜依子さんは泣き笑うように、でも心からうれしそうに、晴れやかな笑顔でうなづいた。
「…もちろん、大大大歓迎よ」
※
亜依子さんと友樹さんの新婚生活を今後の参考に聞きながら話が尽きずにいると、いつの間にか麗らかな日差しは強い西日に変わり、庭園を覆うように広がった空が、すべてを茜色に染め上げていた。
ひさしぶりに見た故郷の夕焼け。
都会育ちの亜依子さんにはこの光景がひどく新鮮にうつったみたい。「写真を撮りに行こう!」とわたしの手を引いて外に出た。
※
「ほんとに綺麗ね」
ため息まじりに亜依子さんがつぶやいた。
朱色に染まってよりいっそう奇麗にうつる横顔を見つめながら、ただうなずくわたし。
「きっと明日もいいお天気ね。式が本当に楽しみ」
「亜海ちゃん」と、ふいに真っ直ぐに見つめられた。
「兄さんのこと、よろしくね」
「…亜依子さん。どうしたんですか、急に」
「ふふ…ごめんなさいね。でも、本当に思うのよ。兄さんの幸せは、あなたと出会えたことそのものなんだって」
「……」
もったいなすぎる言葉にどう返答していいかわからない。
でも、否定はしない。
だって裕彰さんは口癖のように言う。
わたしを頬をとても愛おしそうに大切そうに包みながら、独り言のようにつぶやく。
「キミに出会えてよかった」と。
わたしにそんなたいそうな価値があるとは思えない。けれど、大好きな裕彰さんの言葉は素直に受け入れられる。
こんなわたしでも、大好きな人にとって大切な存在になることができたんだって、心があたたかくなる。
「わたしたちが出て行く時の兄さんの顔見た?『俺の亜海をつれまわすな』って恨めしそうな顔してたわよ。きっと、一時もあなたと離れたくないのね」
ふふ、と笑みをこぼして続ける。
「やっぱり変わったわ、兄さんは。わたしが初めて会った時とは別人のよう」
聞いたことがある。
亜依子さんは最初、お兄さんであると知らずに近づいたらしい。でも裕彰さんは知っていて、複雑な感情をコントロールできず、当初は亜依子さんにつれなく当たったらしい。
「その時はイケメンだからってお高くとまってイヤなヤツ!って心の底から思ったわ。
でも…真相と兄さんの過去を知った時、そう思った自分をひっぱたきたくなった。…兄さんは今までどれほどさびしくて辛い思いをしてきたんだろう、今までなにも知らないで、わたしはなんて馬鹿だったんだろう、って」
「そんな…。亜依子さんはなにも悪くないのに…」
「…ありがとう…。でもね、わたしの周りには気の毒な人が多いと思うから…。兄さんだけじゃない。父もわたしの母も。そして、兄さんのお母様も…」
亜依子さんの言う通り、一番の犠牲者は裕彰さんのお母様だったのかもしれない。
「裕彰さん、言ってました。アメリカでの生活は金銭面ではまったく困らなかったけれど、母はいつも寂しそうだった、って。日本にいた時は正反対で、言葉の通じない国で友達もできず病気がちで加えて貧しかったけれど…でも父がいたから幸せそうだったのに、って」
「……」
「それでも年に数回すごく幸せそうな時期があって、それは決まって日本人の男の人と会っている時だったって。小さいからあまりよく覚えていないのだけれど。今思えば父が会いに来ていたんだな、って…」
「そう…」
亜依子さんは、少しの間遠くの空を見つめて続けた。
「…わたしの母もね、いつも寂しそうだったわ。おかしな話、自分が奪ったくせにね。
父が海外出張に行っている時は、いつもふさぎ込んで機嫌が悪かった。そして帰ってきた早々、自分から売り言葉をふっかけては口喧嘩を始めてた…」
「わたしの気が強い所は母に似たのね」と笑みをもらしたけれど、その瞳は悲しげに曇っていた。
亜依子さんは裕彰さんに負い目を感じていた。
…けれども、亜依子さんだってそんなご両親を見て育って、けして幸せとは感じていなかったのかもしれない。
過去のことはすべて流すと決めている裕彰さんは「できれば来てほしい」と招待したけれど、明日の出席を亜依子さんのお母様は固く辞退した。
出席するお父様や亜依子さんにはなにも言わなかったそうだけれど、その胸の内に抱く想いは、どのようなものだったのか…わたしには容易に想像できやしない。
「母は良くも悪くもお嬢様育ちの可愛らしい人だけれど…恋愛では幸せになれなかったのかもしれないわね…。
父も母を嫌っていたわけではないのだけれど…。やっぱりどうしても、罪悪感からは逃れられなかったのね…」
…それは裕彰さんも言っていた。
俺の存在自体が父の贖罪の証なんだ、と。
聞いた瞬間、あまりの悲しさにわたしは泣いてしまった。
「そんなこと絶対にない!」って泣きべそをかきながら訴えたら、根負けしたみたいに「わかったよ」と笑ったけれども…。
「亜海ちゃん…」
「はい」
「兄さんのこと、幸せにしてあげてね」
女優さんのように綺麗な、でもどこか弱々しげな笑顔で、亜依子さんはわたしに言った。
わたしはふるふる、と首を横に振った。
「ちがいます。みんなで幸せになるんです。裕彰さんもお父様も亜依子さんのお母様も、そして亜依子さんも友樹さんも…これから、みんなで幸せになるんです」
「亜海ちゃん…」
「わたしはそこに加わらせてもらうだけです。頼りないですけれど、不束者ですけれど…お邪魔させてもらっても、いいですか…?」
亜依子さんは泣き笑うように、でも心からうれしそうに、晴れやかな笑顔でうなづいた。
「…もちろん、大大大歓迎よ」
※