レンタル夫婦。
**
――残り、25日
朝、結局湊には会わなかった。
靴が無かったから、多分私よりも早く出たのだと思う。
もしかしたら、夜も帰ってこなかったのかもしれない。
何となく心配で、少しだけ寂しく感じてしまう。
そんな権利は、ないはずなのに。
「……今日も、忙しいのかな」
「みーひろ、どうした? 暗い顔して」
「あ、桃ちゃん。お疲れさま。何でもないよ」
お昼休み、トイレから戻ると、ロッカーの所で桃ちゃんに会った。
独り言は聞こえなかったみたいで少しだけほっとする。
「そう?……あのさ、今度営業部と合同で飲みしよーって言ってんだけど、いつがいい?」
「営業部と?」
突然切り出された話題に少しだけ首を傾げた。
同じ部署での飲み会はよくやるけど、他の部署と一緒なのは少し珍しかったから。
「うん。奥村ちゃんがさー営業の神野さん気になってるらしくて。一緒に飲みたいっていうから、一肌脱ごうかと思ってさ。来週末とかどう? ライブある??」
「へぇ、奥村さんが……ちょっと意外かも」
奥村ちゃんというのは今年入った大卒の新入社員。おっとりしていてとても大人しい子だ。営業の神野さんはあまり絡んだことがないけれど、確か仕事が出来る人だったはず。
そこまで考えて、私は答えを口に出した。
「うーん、来週末なら何もないし大丈夫だよ」
「あ、本当? じゃあ金曜あけといて。話進めとくから」
「うん、分かった。楽しみにしとくね」
桃ちゃんに返事を返して、そのままスマホのスケジュールアプリに予定を登録しておく。
何だかそういうノリは久々で、少しだけドキドキしてしまった。
……それもあって、午後の就業中は何となく奥村さんを目で追ったりしながら過ごした。
うちは私服での通勤だけど、ちょっと全体的に地味でもったいないと思う。
元は悪くないんだから、もっとこう……ちょっと痩せて、メイクと服装変えればモテそうなのにな、なんて余計なことを考える。
そんな感じで午後は割とのんびり過ごして、定時で上がった。
周りに挨拶をしさっさと片付けてロッカーへ行く。
スマホを取ると、湊からのメッセージがあった。
『ごめん。今日も遅くなるから先寝てて。明日は早めに帰るから』
(……湊って文章だとこんな感じなんだ)
いつも触ってくるせいで、何だかテンションの高いのを想像していたけど、スタンプや絵文字どころか顔文字もない。
ちょっと業務的に感じるそれに、同じノリで返信をした。
『分かった。お仕事頑張ってね。無理はしないで』
それだけを送り、どうせ返事なんてこないだろうなと思ってスマホをポケットへとしまう。
そのまま会社を出て電車に乗り、真っ直ぐに家まで帰った。
「ただいま~……って、誰もいないんだけどね」
扉を開けて自嘲気味に呟いてみる。
2LDKのマンションは、一人きりにしては、少し広すぎる。
「なんか……夫婦って感じしないなぁ」
つい口からそう零れてしまって、何となくもやっとしたものを感じた。
今までだって一人で過ごしていたくせに、突然何をして過ごせば良いのか分からなくなる。
「……あ、そうだ。報告書、作ろうかな」
どうしようかな、って考えてふと、報告書という存在を思い出した。
自室まで行き、机の引き出しの中から、最初に渡された書類一式を引っ張り出す。
その中に報告書についてという紙があって、私はそれを手に改めて目を通した。
文字がたくさん書いてあるけれど、概要を纏めると、湊との生活についての感想を書けってことみたい。
意味があんまり分からなくて受け取った時に詳しく聞いたら、全て私の言葉で感じたままに書いて良いとのことだった。
とりあえず書いてみようかと思って、紙を出してペンを持ってみる。……も、そもそも手書きよりもPCで作るべきなのかなど、全く何も分からなかった。
「んー……ちょっと訊いてみようかな」
適当に作ってやり直しになるのは嫌で、私はその資料一式の中からありささんの名刺を取り出した。
記載されている電話番号へと電話をかける。
すぐにそれは繋がった。
『はい、本田です』
「あ、もしもし……ありささんですよね? 私、レンタル夫婦の中原みひろです」
『はい、みひろさんですね。どうされました?』
電話越しに聞くありささんの声が凄く柔らかくて私は内心ホッとする。
安心して質問をすることが出来た。
「その、報告書についてお伺いしたくて……」
『報告書ですか? 具体的にどの辺りについてでしょうか?』
「えーと……その、どういう風に書けば良いのか全く分からなくて」
私はまだ何も書けていないことと、どんな風に書けば良いのか全くイメージが湧かないことを伝えた。
ありささんは少し考える素振りを見せて、
『分かりました。それでは……もし良ければこれからお会い出来ないでしょうか?』
と提案してきた。
「え、今からですか?」
……時間は19時前。
確かに、会えない時間じゃないけれど。
少しだけビックリしてしまう。
ありささんはふふっと笑った。
『もちろん無理強いはしませんよ。直接話した方が分かりやすいかと思ったので……何なら別の日に改めて、でも構いません』
どうしよう、って正直迷った。
でも、湊は帰ってこないし。……この部屋に一人は落ち着かなくて。
私は、少しだけ考えて首を縦に振った。
「じゃあ今から会いましょう。……どこに行けば良いですか?」
――残り、25日
朝、結局湊には会わなかった。
靴が無かったから、多分私よりも早く出たのだと思う。
もしかしたら、夜も帰ってこなかったのかもしれない。
何となく心配で、少しだけ寂しく感じてしまう。
そんな権利は、ないはずなのに。
「……今日も、忙しいのかな」
「みーひろ、どうした? 暗い顔して」
「あ、桃ちゃん。お疲れさま。何でもないよ」
お昼休み、トイレから戻ると、ロッカーの所で桃ちゃんに会った。
独り言は聞こえなかったみたいで少しだけほっとする。
「そう?……あのさ、今度営業部と合同で飲みしよーって言ってんだけど、いつがいい?」
「営業部と?」
突然切り出された話題に少しだけ首を傾げた。
同じ部署での飲み会はよくやるけど、他の部署と一緒なのは少し珍しかったから。
「うん。奥村ちゃんがさー営業の神野さん気になってるらしくて。一緒に飲みたいっていうから、一肌脱ごうかと思ってさ。来週末とかどう? ライブある??」
「へぇ、奥村さんが……ちょっと意外かも」
奥村ちゃんというのは今年入った大卒の新入社員。おっとりしていてとても大人しい子だ。営業の神野さんはあまり絡んだことがないけれど、確か仕事が出来る人だったはず。
そこまで考えて、私は答えを口に出した。
「うーん、来週末なら何もないし大丈夫だよ」
「あ、本当? じゃあ金曜あけといて。話進めとくから」
「うん、分かった。楽しみにしとくね」
桃ちゃんに返事を返して、そのままスマホのスケジュールアプリに予定を登録しておく。
何だかそういうノリは久々で、少しだけドキドキしてしまった。
……それもあって、午後の就業中は何となく奥村さんを目で追ったりしながら過ごした。
うちは私服での通勤だけど、ちょっと全体的に地味でもったいないと思う。
元は悪くないんだから、もっとこう……ちょっと痩せて、メイクと服装変えればモテそうなのにな、なんて余計なことを考える。
そんな感じで午後は割とのんびり過ごして、定時で上がった。
周りに挨拶をしさっさと片付けてロッカーへ行く。
スマホを取ると、湊からのメッセージがあった。
『ごめん。今日も遅くなるから先寝てて。明日は早めに帰るから』
(……湊って文章だとこんな感じなんだ)
いつも触ってくるせいで、何だかテンションの高いのを想像していたけど、スタンプや絵文字どころか顔文字もない。
ちょっと業務的に感じるそれに、同じノリで返信をした。
『分かった。お仕事頑張ってね。無理はしないで』
それだけを送り、どうせ返事なんてこないだろうなと思ってスマホをポケットへとしまう。
そのまま会社を出て電車に乗り、真っ直ぐに家まで帰った。
「ただいま~……って、誰もいないんだけどね」
扉を開けて自嘲気味に呟いてみる。
2LDKのマンションは、一人きりにしては、少し広すぎる。
「なんか……夫婦って感じしないなぁ」
つい口からそう零れてしまって、何となくもやっとしたものを感じた。
今までだって一人で過ごしていたくせに、突然何をして過ごせば良いのか分からなくなる。
「……あ、そうだ。報告書、作ろうかな」
どうしようかな、って考えてふと、報告書という存在を思い出した。
自室まで行き、机の引き出しの中から、最初に渡された書類一式を引っ張り出す。
その中に報告書についてという紙があって、私はそれを手に改めて目を通した。
文字がたくさん書いてあるけれど、概要を纏めると、湊との生活についての感想を書けってことみたい。
意味があんまり分からなくて受け取った時に詳しく聞いたら、全て私の言葉で感じたままに書いて良いとのことだった。
とりあえず書いてみようかと思って、紙を出してペンを持ってみる。……も、そもそも手書きよりもPCで作るべきなのかなど、全く何も分からなかった。
「んー……ちょっと訊いてみようかな」
適当に作ってやり直しになるのは嫌で、私はその資料一式の中からありささんの名刺を取り出した。
記載されている電話番号へと電話をかける。
すぐにそれは繋がった。
『はい、本田です』
「あ、もしもし……ありささんですよね? 私、レンタル夫婦の中原みひろです」
『はい、みひろさんですね。どうされました?』
電話越しに聞くありささんの声が凄く柔らかくて私は内心ホッとする。
安心して質問をすることが出来た。
「その、報告書についてお伺いしたくて……」
『報告書ですか? 具体的にどの辺りについてでしょうか?』
「えーと……その、どういう風に書けば良いのか全く分からなくて」
私はまだ何も書けていないことと、どんな風に書けば良いのか全くイメージが湧かないことを伝えた。
ありささんは少し考える素振りを見せて、
『分かりました。それでは……もし良ければこれからお会い出来ないでしょうか?』
と提案してきた。
「え、今からですか?」
……時間は19時前。
確かに、会えない時間じゃないけれど。
少しだけビックリしてしまう。
ありささんはふふっと笑った。
『もちろん無理強いはしませんよ。直接話した方が分かりやすいかと思ったので……何なら別の日に改めて、でも構いません』
どうしよう、って正直迷った。
でも、湊は帰ってこないし。……この部屋に一人は落ち着かなくて。
私は、少しだけ考えて首を縦に振った。
「じゃあ今から会いましょう。……どこに行けば良いですか?」