レンタル夫婦。
***
飲み会は、普通に盛り上がっていた。
奥村さんは、目的の神野さんの隣に座れていて、控えめながら上手く会話しているようだった。

(良かった……)

それに何となくホッと息を吐く。

「なーかはーらさんっ」
……と、テンション高く声をかけられ私は顔を上げた。
いつの間にか隣に、営業の水島さんが座っていた。
水島さんと言うのは5つ年上の31歳。
営業部で一番成績も良く、見た目もイケてるから女子社員に人気がある。……でも、アイドル顔ではないので、私は正直そこまで興味がなかった。
普通に男前、という感じ。

「あ、お疲れ様です」
なるべくにこやかにそう言うと、水島さんは持っていたジョッキを私の方へ差し出した。
私も飲んでいたグラスを差し出して軽くぶつけ合う。

「飲んでる?」
「はい、飲んでますよ」
「……あんまり酔ってないように見えるけど」
「はは、あんまり顔には出ないので」

私は、あんまりお酒が強くない。
だから、弱めのカクテルを2~3杯しか飲まない。自分の限界はよく分かっているつもりだった。

「そうなんだ、もっと頼みなよ」
「いえ……」

さりげなくメニューを渡されそうになってやんわりと断る。
何となく、この一瞬で少しだけ苦手意識が芽生えた。

「中原さんってさ、いいよね? ……他の女子と違うっていうか」

そう微笑まれて思わず首を傾げてしまう。

「え、そうですか?」
「そうだよ。……なんだろう、変に媚びてないっていうか」
「そうですかね?」

だって、媚びる意味ないし……と内心浮かぶも笑顔で交わす。
水島さんの手が私の肩へと伸びてくる。
抱き寄せられて、ぞわりと嫌悪感が生まれ始めた。

「中原さんって、今彼氏いる? 俺と付き合おうよ」
「いやー……その」

どうしよう、気持ち悪い。
湊の時とは全然違う。……どうして。

「俺さぁ、前から中原さんのこといいなと思ってて。この後二人で抜けない?」
「いえ、私は……」

どうしよう。肩に触れる手を払ってしまいたい。
でも、部署は違えど上司に当たるし。
どうして良いか、分からない。
失礼な態度をとる訳にもいかなくて、ただただ固まることしか出来なかった。

「――水島さん、ちょっと飲みすぎですよ」

不意にそう声が響いて顔をあげる。
そこに居たのは同じ部署の星野さんだった。
やんわりと水島さんの手を私から離してくれる。それにホッと息を吐いて私はさりげなく距離を取った。
感謝の気持ちを込めて星野さんを見つめると、視線が合い優しく微笑まれた。

「お、星野も中原さん狙い?」
「……そういうんじゃなくて、嫌がって見えたから。水島さんほんと酔いすぎです」
「んーまぁ酔ってない訳じゃないけど。俺、結構本気なんだよね。どう? 中原さん」

溜息を吐いた星野さんが諭すように告げると、隣の水島さんがそう言って笑う。
不思議なほど、全くドキドキしなかった。
恐ろしいぐらいに冷静な自分が居て、接客用みたいな笑顔を張り付けて、社交辞令で返す。

「水島さんぐらい素敵な方に、私じゃもったいないですよ」
「そう? 謙虚だね」

水島さんはそう言って、引いたように見えた。
私は微笑んで再びお酒を飲んだり食べることに集中した。
あっという間に席の時間が来る。
帰ろうかと思っていたのに、奥村さんに腕を掴まれた。

「中原さん、お願いします……二次会残ってくれませんか? 一人じゃ不安で……」

桃ちゃんは彼氏さんが部屋で待っているため帰るみたいだった。
困惑してスマホを取り出す。
湊からの連絡はなかった。

「んー……じゃあ、少しだけね」
「有難うございます!」

二次会は、一次会の大衆向け居酒屋とは違い、照明がおしゃれなバーだった。
嬉しそうに笑った奥村さんは無事に神野さんの隣をゲット出来たらしく、楽しそうに話しているのを見てホッとする。
もう帰っても良いかなって腰をあげようとすると腕を掴まれた。

「もう帰るの?」
「……水島さん」

腕を掴んできたのは、また水島さんだった。
それについ溜息が零れる。
どうして私に執着するんだろう。

「もう少し話そうよ」
「まぁ……少しなら」

結局断り切れなくて奥の方のソファー席、並んで座ってカクテルを仰いだ。

「俺さぁ、本当に前から中原さんが良いと思ってて。美人だしおしゃれなのに気取ってないっていうか」
「はぁ……それなら、桃ちゃんもそうだと思いますけど」
「モモちゃん?」
「あ、永原さんです」
「ああ、永原さんね」

伝わらなくて説明すると、納得したように彼は笑った。

「永原さんはめちゃくちゃ美人だよねー。でもほら、彼氏いるでしょ」
「……いなければ口説いてたってことですか」
「いやいやそうじゃないよ。……中原さんって、後輩の面倒とかよく見てるでしょ。いつも気が利いて、さっきも率先してサラダ取り分けたり飲み物ない人にメニュー渡したりとか……なんていうか、そういう所が気になってる」
「…………」

周りがさっきと違い静かだからか、真剣に口説かれて少しだけ戸惑う。
仕事も出来るし、悪い人じゃないのは知っている。
別に拒否する理由もないような気がしてしまう。

「別にさ、すぐにどうこうってことじゃなくて。とりあえず連絡先ぐらいは交換させてよ」
「え……まぁ、いいですけど。LINEで良いですか」
「うん、いいよ」

連絡先を交換するのぐらいは良いのかなって思って交換をする。
無事にそれが終わってスマホをしまうと、また肩を抱かれた。

「中原さん、どういう男が好み? 教えてよ」
「私は……」

アイドル顔が好きです。
そう言いかけて口を噤む。上手い説明が出来なくておろおろすると、水島さんが目を合わせて微笑んでくる。
それから少しずつ顔が近付き――
このままじゃキスされる、そう思った。

一瞬湊のことが頭に浮かんで、……私はつい、その肩を強く押した。

「ごめんなさい」
「……あれ、いけると思ったのに」

水島さんは軽く肩を竦めてそう笑う。
何か女慣れしてる人だなって思ってしまう。

それよりも私、今湊のこと考えた……?

大人しかった心臓が、ドキドキと高鳴りだした。
この前湊と出かけた時のことを思い出して、どうして良いか分からなくなる。

「? 中原さん……?」
「え、あ……」

完全に頭がトリップしていて、ハッとして顔をあげる。
困ったような水島さんの顔が近くにあって、私は距離を取ろうとそっと肩を押した。

「水島さん」

横から声が響いて、顔を向けるとまた星野さんが居た。
私の向かい側に腰を下ろしながら、困ったような表情を作る。

「……本当、中原に絡みすぎですよ」
「そうかな? 俺が誰と飲もうと俺の勝手だと思うけど」

水島さんは少し突き放すようにそう言った。
星野さんがムッとした表情を作る。

「俺が嫌なんすよ。……中原のこと、好きだから」
「え!?」

唐突に聞こえた言葉に私はつい大声をあげてしまった。
そのせいで周りの視線が私に集まる。
星野さんは真っ赤になった。

「えっと……そういう訳で、俺と付き合ってよ」

真っ赤なまま紡がれて、頭の中がパニックになる。

「いいじゃん、お似合いだよ」
と、営業部の誰かが口にした。
そのせいで他の誰かも同じように乗っかる。

「いや、……私は……」

何でこんなことになっているんだろう?
今までも飲み会に参加してきて、そんなことは一度もなかったっていうのに。

「えっと、」
「中原さん、彼氏いないんだよね? 俺か星野か選んでよ」

困惑する私の手を取って水島さんがそう告げた。
……彼氏は、いないけど。私、は

「――ごめんなさい」

水島さんの手をそっと振りほどいて頭を下げる。

「今は、そういう気分になれなくて」

申し訳なさで顔をあげられない。
もしかして、ひと月前の私なら、どちらかを選んだかもしれなかった。
でも今は、どちらにも全くときめかなくて。
それで付き合うのも失礼な気がして。

「……こっちこそ、急にごめんな」

私がひたすらテーブルを見つめていると、そう声をかけられ顔をあげる。
向かい側に座る星野さんと目が合った。

「そんな急に言われても困るよな。……けど、俺、諦めらんないからさ、今度デートしよ」

ふっと子供っぽく笑われる。
初めて見るその表情に、何だか邪険にするわけにもいかず、私は曖昧に頷いた。

「よし! じゃあ今日は飲むぞー!」

星野さんがそう明るく言ってくれたから、水島さんとも、他の人とも気まずくなるのは防げた。
そのままどんどん頼まれるお酒を飲む。
何だかんだ罪悪感からペースが上がり、私はすっかり気持ち悪くなっていた。

「うー……やばい……」

お手洗いに行って一人呟く。
天井も壁もぐるぐると回っていた。

「大丈夫ですか?」

壁にもたれかかるとそう声をかけられる。
誰かと思えば奥村さんだった。

「あー……うん、ありがと。奥村さんは? どう? 神野さんと」
「あ、お陰様で……今度、一緒にご飯にいくことになりました」

奥村さんははにかんだように笑う。……この子、こんなに可愛かったっけ……?

「? 中原さん?」
「あー……ごめん、ちょっと、気持ち悪い」
「え! 大丈夫ですか」
「うん……先、戻ってていいよ」

奥村さんに声をかけて一人個室にこもる。
その場でしゃがみこむとぐるぐる世界が回った。
やばい……完璧に飲みすぎ。
頭が痛くて吐き気がする。


――どのくらいそうしていたのだろう?
やっと少し落ち着いて個室から出ると、洗面台の所にはまだ奥村さんがいた。

「大丈夫ですか?」
「あれ? 戻らなかったの」
「はい、だって心配で……」
「そう……心配かけてごめんね、ありがと」

奥村さんの優しさが地味に嬉しかった。
出来るだけ感謝の気持ちを込めるようにそう言って、支えられるようにしてその場を後にする。
席に戻ると奥村さんは水と冷たいおしぼりを持ってきてくれた。
おしぼりを顔に押し当てて、水をゆっくり飲む。
冷たい水が喉を通って体の中に入ると、凄く気持ちが落ち着いた。

「本当に、ありがと」

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