レンタル夫婦。
9章:全てはお金のため
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――残り、8日
日曜日になった。
結局昨日は近くのショッピングモールをぶらぶら見るデートをした。
私はそれだけでも嬉しかったけど、湊がどうだったのかは分からない。
……一つだけ分かったのは、湊は私に触れなくなったってこと。
あんなに初日から頭を撫でたりハグしたり、ほっぺにキスしたりしていたくせに。
人混みではぐれそうな時に少し手を繋いだだけで、後は一切の接触がなかった。
この前のことがあるから、私から触れるのも怖くて、結局曖昧なまま日々を過ごしている。
あと一週間でどうにかしなきゃって思うのに、どうすれば良いのか分からなかった。
「ちょっと買い物に行こうかな」
今日、湊は朝から出かけている。
日曜日に家に一人なのは、湊との生活が始まって初めてのことだった。
家に居てもぐるぐる悩んでしまうから、思い切って外へと出る。
CDショップやアイドルのグッズ専門店などをぶらぶらと見て回った。
不思議なことに、前ほど欲しい! とは思わなくなっていた。
レアな写真やグッズなど、前なら持っていないものを見かけるだけで勢いで買っていたのに。
何となくまぁいっかで済ませていた。
前ほどの充実感が得られなくて、適当にスーパーに寄って帰宅する。
買ってきたお弁当を食べて、見ていなかった録画を少し見る。
でも、気分が乗らなくて、部屋の掃除を始めた。
私も湊も片付けは苦にならない方で、気が付いたらどちらかが片付けているから部屋は綺麗だった。
そのせいでそこまで片付けることもない。
一応掃除機をかけてコロコロを掛けて、雑巾がけまでしてみた。
掃除をするのは心がすっきりする気がする。
リビングやキッチン、水回り、そして自室まで掃除をした所で、ふと、湊の部屋のドアが気になった。
扉のところまでは何度か行っているけど、中まで入ったことはない。
――ふと、好奇心が顔を出し始めた。
湊の生活を私は知らない。
一緒に住んでいるのに、本当の湊を知らない気がして。
だって、夫婦なんだから。……いいでしょ? って。
私の部屋に湊が入ってくることもあるし。
鍵だってないもん。……だから、いいよね、って。
どこかで罪悪感を感じつつも私は湊の部屋の扉を開けた。
「おじゃましまーす……?」
誰もいないのにわざとそう声を出した。
中は、驚くぐらいに片付いていた。
一番最初、……住み始める前に見たのと殆ど変わらない光景。
あるのはベッドとデスク、クローゼット、そしてテレビ台とテレビくらい。
極端に物が少なくてびっくりする。
「これだけ綺麗なら……掃除することもないか」
入ってみたいとは思ったけど、机の引き出しを開けたりだとか、そういうつもりはなくて、早々にその場から離れようと踵を返す。……と、そこでデスクの上に置いてあるファイルが気になってしまった。
ファイルの下には、資料のようなものがあり、その見出しには、『レンタル夫婦について』と書いてあった。
私のと同じやつかな? なんて、軽い気持ちで――それを、手に取ってしまった。
「――え」
文字を追っていくごとに、自分の中の感情が冷えていくのに気が付く。
心が痛み始めて、紙を持つ手が震えた。
『レンタル夫婦契約書』
そう書かれたその紙には、私と同じ簡単なルールなどが書いてあった。
でも少し細かくて、私のには記載のない、お金のことなどが書いてあって。
そして、
『相手を期間内に惚れさせた場合、賞与として200万円進呈する』
――そんな、記載があった。
「にひゃく、まんえん……?」
乾いた声が漏れる。
頭の中で、ぐちゃぐちゃだった糸が完全に一本に繋がった。
最初からグイグイ迫ってきていた湊。
いつも尽くしてくれている湊。
……告白した途端に、少しだけ素っ気なくなった、湊。
「そっかぁ……おかねのため、なんだ……」
勝手に声が零れる。
それは自分のものじゃないみたいに響いた。
――わかってる。
私だって、伯父のための実験だ。
家賃が浮くし、とかそういう気軽な気持ちで初めて、何かを期待していたわけじゃない。
きっと湊には湊の事情があって、それはきっと私も湊も同じ。
理由が、違うだけ。
「……なのに、なんで、……っ」
――なんで、こんなにかなしいの
心臓を殴られたみたいに胸がくるしい
吐きそうで、その場に立っていられなくなる。
「……っ」
力が抜けてそのままへたり込む。
「う……ふっ……」
涙が溢れて止まらなかった。
馬鹿みたい、……本当に、馬鹿みたい
最初から分かっていたことなのに。
あの優しさも、……触れた手のぬくもりも、見せてくれた笑顔も全て。
仕事だからだったんだ、お金のためだったんだ、そう考えると納得と同時に息が出来なくなる。
私は、嗚咽をあげてぼろぼろ泣いた。
ここ数年でこんなに泣いたことはないってぐらいに。
**
夜。
そう遅くなる前に、湊は帰ってきた。
「ただいま」
「……おかえり」
本当は、顔を合わせたくなかった。
でも、いつもリビングにいるのに自室にいるのもおかしい気がして。
結局ソファーに座ったまま、湊を出迎える。
「? どうしたの? 目、赤いよ?」
誤魔化すように笑顔を浮かべたはずなのに、湊はすぐにそう訊いてきた。
知られたくなくて無理に笑って見せる。
「今日、DVD観てたら感動して泣いちゃって……」
あはは、って乾いた笑いが漏れた。
湊は何も言わずに、私からテレビへと視線を移す。
その視線が返ってきたかと思うと、小さく溜息を吐かれた。
「……嘘でしょ」
「何で? 本当だよ」
「言いたくない?」
「だから、映画観ただけだって」
何で気付いたのかは分からないけど、湊は引き下がるつもりはないらしかった。
そういう心配してる、みたいなのが辛くて。
「本当、何でもないから。あと今日はやることあるし部屋で過ごすね。早いけど、おやすみ」
ちょっと冷たくそう言って、反論も待たないまま強引に部屋へと戻る。
湊が何か言いかけた気がしたけど、聞こえないふりをした。