レンタル夫婦。
「――あ」

感情のまま走って走って息が切れて漸く足を止める。
私はそこで、手ぶらのまま出てきたことに気が付いた。
財布もなければ、スマホすらない。……鍵もないから、インターホンを押さなければ中には入れない。

「……どうしよう」

すぐに戻って謝れば、湊は中に入れてくれるだろうと思う。
そしてきっと、何事もなかったように笑うんだと、思う。
けれど、さすがにそれはプライドが許さなかった。

「……さむ」

上着すら着てこなかったせいで体が震える。
まだ10月とは言っても、夜になると大分冷える。

とりあえずは、寒さをしのぐためにコンビニに入った。
でも、最近のコンビニは立ち読みすら出来ないようになっている。
何となく選んでいるふりをして店内をうろうろする。

不意にガラスに映った自分の顔が酷くて、……そうしたら店員さんや周りのお客さんにどう思われているのか気になってしまって。
いたたまれない気持ちになってそこを飛び出した。
どうして良いか分からず、結局公園に落ち着いた。
一人ベンチに座ってみる。

……と、ぽつり、と雨が降り出した。
ぽつぽつとそれは徐々に間隔を狭めて、一気にざーっと降り始める。

「やば……っ」

濡れるわけにはいかなくて、慌てて屋根のある場所まで走る。
近くの商店街、アーケードの下。
雨は防げるけど、大分服も濡れてしまっていた。
帰ろうか悩んで、……でも、そういう訳にもいかないかなって思う。

シャッターの閉まったお店の前、私は背中を預けてその場に座り込んだ。
膝を抱えて頭を埋める。
何だかもう、全てがどうでも良くなってしまって。

――もし、このまま私がここで死んでも、誰も困らないんじゃないか、とか。

そんな投げやりな気持ちになる。
あ……桃ちゃんは泣いてくれるかな。伯父さんとか。

雨に濡れた服が、私の体温を奪っていく。
指の先から血の気が引いて、自覚するぐらいに冷たくなる。

本当、どうしようかなって考えて、随分長いことそうしていた。
何分何十分……もしかしたら、1時間ぐらい経ったのかもしれない。


「――やっと、見つけた」

その時だった。そう、声が聞こえたのは。
反射で顔をあげるとそこに……ずぶ濡れの湊が居た。
走ってきたらしくて、肩で息をしてる。

「み、なと……?」

「はぁ……何で急に出てくかな」
「……関係ないじゃん」
「関係なくないでしょ。……オレらは今、夫婦なんだから」

懲りないのか湊がそう言う。
どうしても、それに苛々としてしまった。

「何、それ……ああそっか、私に何かあったら、200万が貰えなくなっちゃうから?」

自分でも驚くぐらいに冷たい声が出る。
言いながら心が痛くて、またじんわり視界が滲んだ。
きっと湊はそうだって笑うから。
私一人でバカみたい――

「あのさぁ。こんな土砂降りの中手ぶらで出ていかれたら、誰だって心配するでしょ。……それともみひろさんにとって、オレってそこまで冷酷な人間なの」

湊はそう言って思い切り溜息を吐いた。
それにまた苛々してしまう。

「そう、だよ。……だって湊、冷たいじゃん」
「はぁ。何言っても無駄だね。とりあえず帰るよ。……風邪ひく」
「いや、離して」

湊が腕を掴んで私を立ち上がらせようとする。
それを振り払おうと腕を動かして、思い切り首を振った。

「いやだ」
「何でっ」
「もう遅いし危ないから、とにかく帰ろ。……帰って着替えたらちゃんと話聞くから」
「…………」

ずるい。
そんな顔されたら断れないよ。
何でそんな優しく笑うの。
辛くてまた俯くとその頭をぽんぽんと叩かれた。

「みひろさんって本当……年上っぽくない」
「……うるさい」
「そういうとこだよ。……ほら、帰るよ」
「…………」

呆れたように言いながら、湊は私の体を抱き起こす。
正直全く全然納得なんてしていないけど。
寒いのもトイレに行きたくなってきたのもあって、湊について立ち上がった。
手を引かれて、無言のままマンションまで歩く。
湊は何も言わなかった。
繋ぐ手の温度だけが確かで、ずっと離れなければ良いのに、って――そう、思った。




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