Who?
そこには、井上ユミの顔があった。右頬のホクロがクローズアップされ、半ば立体的に見えた。彼女の息遣いを彼は頬で受け止め、全身が硬直して動けなかった。それはそうだろう。さっきまで井上ユミのコンサートを間近に体感し、高揚感に浸っていたというのに、今度は目の前に夜道で出くわし、これが最終段階かはわからないが、背中に井上ユミがいる。状況がイレギュラーすぎて理解が追いつかなかった。たとえば、重要な何かがあるときに、腹痛を感じ、本来の身体的能力が発揮できないのと似ている。思考と肉体は鈍化し、次の一手が見えない。だけど、こういう場合の対処法は一つしかない。
 流れに身を任せろ。
「拾ったんだ」
 井上ユミは酒臭かった。わずか短時間で相当の量を飲んだらしい。というか、もしかしたら、コンサート前から飲んでいたのではないか、という疑念がアオイの中で生じた。もちろん、疑念は自分の中にしまいこんだ。
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