僕は君の右手になる
──君のピアノが聴きたい
そんな事を言われたのは初めてだった。
嬉しいと素直に思ったけれど
僕のピアノなんて聴いても別段意味は無い。
それくらい、僕のピアノはつまらないと思う。
譜面をなぞるように弾く、できる限り機械的に弾いてきた僕のピアノが、そんなにもいいものだとは思えなかった。
機械的に譜面通りに、といってもそれを完璧にこなす技術があればまだいい。
でも僕にはそこまでの技術はないんだ。
ミスタッチをする時もあるし、テンポ通りに弾けないこともある。
僕のピアノでは彼女が満足してくれるとは思えなかった。
「僕には、君に聴かせられるような技術がない」
誤魔化そうにもどうしていいかわからなかったからそう答えた。
彼女は少し笑った。
「『音楽は技術じゃない、心だ!』って名言しらないの?」
聞いたことは、あった。
音楽をやってる人ならきっと一度は聞いたことがあるだろう。誰の言葉かは忘れたが。
「『芸術はそれじたいが目的ではない。人間性を表現するための手段である』
って、ムソルグスキーも言ってるよ。
私は君のこともっと知りたい。君が何思っているのか、何を感じているのか、
私は君について、知りたい」
「……譜面通り忠実に、余計な感情や解釈は入れずに。
僕はそうやってピアノを弾いてきたんだ。
僕の音楽の中に僕はいない」
僕は、作曲者の意思を伝えるための役者なんだ。
「『楽譜の中なんかに音楽はない』。
音楽は君の内側に眠ってる。
それを言葉の代わりに伝えてくれるのがピアノだもの」
僕の内側にある音楽。
「どう弾かなければいけないか、じゃなくて、どう弾くべきか、でもなくて、
君の心がどう弾きたいって言ってるか、だよ」
彼女は優しく微笑んだ。
僕の心はどう弾きたい?どんな音で、どんなテンポで?
君は椅子から立ち上がって僕を見た。
僕は君の視線に誘導されるかのように、
久しぶりにピアノと向き合った。