僕は君の右手になる

彼女の右手が袖から出ていない。

右袖はまるで、中が空洞のようにフニャフニャしているように見えた。

「あぁ、私右腕なくしちゃったから、両手で弾けないの」

彼女はなんてことないように、笑い飛ばしている。

僕がしばらく何も言えなかったのは言うまでもない。

そんなことをあっさりと言われて、誰が順応できるか、教えて欲しいくらいだ。

しばらくの沈黙のあと、彼女が口を開いた。

「片手しかないのにピアノを弾くなんて変に思った?」

僕は考えた。変ではない、と思った。

でも、どうしてそこまでしてピアノを弾こうとしているのか、僕には分からなかった。

「変ではないよ。どうして片手しかないのにピアノを弾くの?」

開かれていた窓から生ぬるい風が入ってきた。

じとっと汗をかいている。

僕は黙って彼女の答えを待った。

「まだ私は帰ってきてないの。だから私は弾くの」

帰ってきてない?意味がわからない。

どこから帰ってきてないのか、そもそもどこがゴールなのか。

彼女は続けてこう言った。

「君は弾かないの?ピア二ストでしょう」
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