僕は君の右手になる
ピアノを弾かないピアニスト
「僕はもうピアノは弾かないんだ」
そう。僕はピアノをやめたんだ。
姉の影響で3歳の時に始めたピアノ。はじめはすごく楽しかった。
押した鍵によって変わる音、押し方によって変わる音、自分の気持ちや気分で変わる音が大好きだった。
知っている曲、聞いたことのないカタカナの曲名のもの、色々な音楽を自分の指が奏でていると思うとワクワクした。
姉は有名なピアニストだ。天才と呼ばれ、数々の名高いコンクールで入賞ないし、優勝している。
僕はいつも姉と比較された。コンクールに出れば、それほど悪い結果でもないのに
「咲希は優勝してるのにねぇ」
といつも母さんにがっかりされた。
僕はそれが心底嫌だった。そのセリフを聞く度、自分の指に少しずつ重りが付いていくように感じたほどだ。
僕の音楽は、人を感動させることが出来ない。
子供ながらにそう思った。僕はダメダメなピアニストなんだ。
とはいえ、辞める、となかなか言い出すことが出来ずに、結局中学卒業までピアノは続けた。
コンクールに最後に出たのは中1の時だった。二次予選で落ちた。
僕はふと思った。
「どうして君が、僕がピアノをやってたことを知っているの」
彼女とは今日初めて会って、初めて話したはずなのに、彼女は当然のような顔をして、
僕に、ピアニストでしょう、と言った。
君は悪びれた様子もなく
「君のお姉さん、久石咲希(ヒサイシサキ)さん、有名なピアニストじゃない。当然一緒にコンクールに出てた久石直希(ヒサイシナオキ)くん、君のことも知っているよ」
彼女は僕を見つめて少しだけ笑った。
僕は内臓が出てくるかと思うくらい、嫌悪感を覚えた。
あぁ、この人も僕と姉を比較する人なのか。そう思うとなんだか悔しかった。
「君は僕のこと知っていたんだね。正確には僕の姉のことを」
嫌味ったらしいな、と自分でもつくづく思う。僕はいつからこんなうじうじした人間になったのだろうか。
カーテンが風に揺られ陽の光が入ってくる。黒いグランドピアノに反射したその光は、彼女の顔を照らす。
彼女は口を開いた。しかし何も言わず口を閉ざしてしまった。言葉を飲み込むように。
何を言いかけたのか、聞こうと思ったと同時に昼休み終了のチャイムがなった。
僕は次が移動教室だなんだと独り言を言い、慌てて音楽室からでていってしまった君の後ろ姿をぼぅっと見つめてから、
そういえば、帰ってきてない、とは何だったのかを聞いていないことを思い出し、更に彼女の名前を聞いていない事も思い出した。