【エッセイ】『バックヤードの向こう側』
1 持つべきものは
そもそも筆者は小説を書くなどとは、思いもよらないことであった。
なぜなら。
学生の頃工学部に在籍し、しかも化学工学という、やれベンゼン核がどうした、流量の抵抗がどうした、理論値がどうした…という世界に身を置いていたからである。
化学式と数字に囲まれ、好きな単位は工業数理と物理、あとは情報処理で、およそ文学とは縁遠い学生時代である。
文章など、せいぜい実験のレポートしか書いたことがない。
そんな経歴であるから、確かに本を読むのは好きだが、ましてや小説が書けるかと言われると、書けないと思い込んでいた。
そんなとき。
「お前、小説書いてみたら?」
と勧めてくれたのは、先にネット小説で活動をしていた友人である。
今でも時折、メールで作品の感想を訊いたりする。
特に『穹窿』の時なんぞは感想がきっかけで、不安が消えて自信がついた。
持つべきものは友だが、それ以上に小説の先輩に認めてもらえたというのが、何よりも嬉しい気持ちであった。
今はすっかり小説書きで、毎日ネタに苦労しながらもメールに下書きを打ち込み、それを読み返しながら「次はこれで行こうかな」などとアップしたりする。
書家が本業のハズが、最近は花屋やら小説やら陶芸やらやっており、どれが本業でどれがバイトで、どれが趣味やら、境目が分からなくなってきている。
特に花屋の仕事より書家の仕事が多いので入れ替わってしまって、それで余計に分からない。
たまに自分が何屋か分からなくなる日もあるが、まぁそうした人生も悪くはない。
もしタイムマシンで学生時代の自身に会えるなら、
「やりたいことはある程度絞っとけ」
と言うべきであったか。
しかし。
絞れば小説は書かなかった訳で、そうなると『穹窿』も『潮騒物語』も、生まれなかったことになる。
果たしてどちらが良かったのか、そればかりは分からないが、ともあれいろんな感想をいただき、あながちやることを絞らなかったのは、正しかったのかも分からない。