【エッセイ】『バックヤードの向こう側』
13 ガラケーで書くメリット
筆者は基本的にガラケーである。
セキュリティがどうしたとか、スマホが嫌いとかそういう理由ではない。
単に手慣れたやりかたで書きたいという理由だけで、やはり慣れないと書きづらい。
なので。
機種もこのメーカーのコレ、というように決めてあって、現在の機種で4代目になる。
勝手知ったるガラケーで、すいすいと原稿をメールに打ち込んで下書きをし、それを清書の段階で打ち直し、公開前にチェックして、さらに公開してからも読み直して手直しをかける。
都合あわせてだいたい6、7回は書き直してから世に出すのだが、それでも誤字や脱字、さらにはテニヲハの直しもあれば、ストーリーの小幅変更もある。
が。
『潮騒物語』のようにほとんど直しがなかった作品もある。
読みやすいように段落の区切りを直しただけで、本文はほとんど直す場所もなかった。
おそらく。
筆者は分からないが、最初からこういうストーリーが頭にあったのかも分からない。
逆に。
『道頓堀ディテクティヴ』のように直しに手間がかかってエライ目に遭ったものもある。
こういうとき、ガラケーだとカットや削除など、すいすいと出来る。
傍目にはケータイをいじってるだけにしか見えないらしいが、しかし下書きから出てきたのもあるので、立派な執筆である。
こんなスタンスもある、という話である。