【エッセイ】『バックヤードの向こう側』
15 普遍性について

随筆というより雑記やメモに近い話を書き留めてあるが、まぁ本人は備忘録のつもりである。

ところで。

前に作品の中でも書いたが、

「生き物なんてのは、食って寝て交尾して終わり」

というのが、生物学的には常識的な考え方である。

われわれ霊長目ヒト科ホモサピエンスも、そこは変わらない。

が。

他にはない、例えば相手に思いやりを持つ、仲間を大切にするなどと共に、恋愛などもただの交尾や繁殖と違う部分がある。

そこは。

決して変わらない面であるし、交尾繁殖するだけの男女は総じて意思のない動物と同じで、そこには思慮分別がなくてはならない。

この思慮分別こそが、哲学的には仁愛だの博愛だのと表現されるもので、それを哲学臭くなく、説教臭くならないように如何に書くかが小説なのかなと、筆者は思うのである。

例えば。

街でよく見かける一輪の花も、それは人間の娯楽のために咲いているのではなく、繁殖して種子を残すために本来は咲いている。

いわば派手な生殖器である。

しかし。

その姿やたたずまいが良いからこそ、人は花を見て美しいと感じる。

もちろん同列に論じられるものではないが、人間が同じように生殖器を派手に露出すれば品がないばかりか捕まってしまう。

要はそういうことなのである。

人間に必要な普遍性のあるいとなみを、どうやって品よく、それでいて簡潔にあらわすかが小説なのではないかなと思うことがある。

どうとらえるかは読み手の反応を俟(ま)つとして、そういうシンプルな考え方で良いように思われる。

単純に語彙は絵の具の数であり、文体は線や面の描きかたであり、ストーリーは絵画の題材である。

あとはそれらをどう描くか。

そこで、価値は決まるように個人的には思う。





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