始まりは大嫌いから
真冬にとってこの一月は本当にあっという間に過ぎ去った。
特に見合いを意識したわけではないが、現在指折りの人気女優で多忙極まる彼女はなかなかハードな毎日を過ごしている。だからこそ、本当にあっという間に過ぎ去ったのだ。
淡いピンクのワンピースに身を包み、気持ちばかりの化粧をする。母親譲りの色素の薄い髪は緩くサイドで一つにまとめた。
これで良いのかなぁ、なんて疑問に思いつつ、用意してもらったタクシーに乗り込んだ真冬は、タクシーを降りた瞬間卒倒しそうになった。
仕事ですら来たことのないような超絶豪華な老舗の料亭は、堅実倹約をモットーにする真冬には苦痛でしかない。
お見合い相手ってもしかして本当にすごい人?
パパがお見合い話を断れないような相手だからすごい人だとは思ってたけど…。プロフィールには自営業って書いてあったっけ。てことは社長さん?なんでそんなすごい人が私をお見合いの相手に選んだの?
自分が人気女優“冬川 真白”だから…そんな理由を彼女は想像しようもない。
間違い?私と同姓同名の別人じゃない?ああ、きっとそうだ。どうしよう。間違えられた。
勝手に自己完結させた彼女はすぐさま回れ右。けれど行く手に壁が立ちふさがった。避けても避けてもその壁は彼女の前に立ち塞がる。
それが仕立ての良いワイシャツとネクタイだとわかるまでに10秒ほどかかるあたり、彼女のマヌケさは本物だ。その間首をかしげ、顎に手を当てて本気で考え込むあたりマヌケを通り越しておバカ、いや異常なのかもしれない。もはや天然だねえ、可愛いねえ、で済む域ではないのは確かだ。
「…あっ」
ようやく気付き、顔を上げた彼女は再び首をかしげた。仕立ての良いスーツを着こなす美丈夫がそこには立っていた。毛先を遊ばせた髪といい、意地悪く歪んだ口元といい、厳粛なお見合いの場には不似合いだが、女性受けは良いだろう。そう思わせるような男だった。
「え。えっと…」
彼女には見覚えがある。見合い相手の写真、そこに写っていたのはこんな男だった。あまりちゃんと見てはいないが多分この男だろう、と真冬は思った。
「…」
「え?ふあっ!」
突然担ぎ上げられた彼女は悲鳴をあげた。迷いなく料亭の中を歩いていく彼は間違いなくお見合い相手だ、そう断定した彼女は思い出した。
まだ挨拶してない。
「こんにちは。初めまして。白川 真冬です。えっと…18歳で…」
「知っている」
「え?えっと…あ、そうだ。降ろしてください」
「それもそうか。逃げるつもりならはなから来てないな」
あっさり降ろされた彼女はとりあえず男にぺこりと会釈をした。
「ありがとうございます」
へらっと笑う彼女の笑顔は童顔をさらに引き立てる。それがなかなか可愛らしく、“真白スマイル”と人気なのだが完全に素だったりする。
けれどここで感謝の言葉はどうだろう。男は、思わず苦い笑みを浮かべた。なかなか乱暴な扱いをしたことは自覚しているのだ。
「ついて来い」
男は素っ気なくいうと料亭の奥へ奥へと歩いて行った。
真冬はと言えば珍しいものを見るかのようにキョロキョロしながら彼の後を追った。
ついでにプロフィールを思い出しながら。
ああ、確か一ノ宮…一ノ宮 悠也さんだ!
そう思い出したのは部屋に入る少し前のこと。