始まりは大嫌いから
真冬が通された部屋は当然ながら個室。彼女が見合いと聴いて想像する“あとは若いお二人で”というようなものではない。今回の見合いは最初から二人きり。
先ほど変な出会い方をした二人(特に真冬)は少しばかり気まずい。
こんな真冬だが知っていた。
お見合いでは普通、女性から話さない!(たぶん!)あれ?さっき自分から話しかけなかったっけ…?
今更ながら思い出し、顔を青くする真冬に対し、男は微笑を浮かべて真冬を観察していた。
だがさすがに不憫に思い、男は口を開く。
「…久しぶりだな、白川 真冬。いや、冬川 真白と言うべきか?」
男から発せられた心地良い声に、一瞬目を閉じかけた彼女だが、ハッとして男を見る。
質の良いスーツを完璧に着こなすイケメン。世間的に見たらそんな感じだろう。
真冬には“久しぶり”と言われた理由がわからない。
「…久しぶり?」
「なんだ、忘れたのか。野崎 悠也…この名に聞き覚えはないか?」
その名前を彼女はよく知っていた。
昔、彼女の家の隣に住んでいたのが野崎家だった。長男の悠也は超絶綺麗な顔を利用した女たらし、次男の秀也は中性的な顔立ちのクールなインテリ男、三男の奏也はふんわり天然系のやさしいお兄さん、そして四男の斗也は意地悪なツンデレっ子。
母親同士が仲良く、度々真冬も野崎家へお邪魔した。四男の斗也は同い年でよくいじめられたものだが、悠也とはあまり接点がなかった。
けれど悠也は当時から、背が高く、すらっとしており、何よりイケメンだった。相当モテていた。
毎日連れている女性は違うし、かなり噂にのぼる存在だった。来る者拒まず去る者追わず。そんな絵に描いたようなモテる男だったのだ。印象深すぎて忘れようとする方が難しい。
「ゆ、悠、兄…?」
「そ。正解。久しぶりだなぁ、“まふ”?」
「…ゆ!」
彼女は口を尖らせて“ゆ”を付け加える。何故だか昔から、どうしても“まふ”と呼ばれるのが気に入らない彼女は何度も嫌だと言った。
けれど悠也だけは彼女をそう呼び続けた。もはや意地の悪い“まふ”の声の後に“ゆ”を付け加えるのはお約束になっている。
「なんで…悠兄が一ノ宮?」
真冬は首を傾げる。簡単な話、彼女は昔と名字が違うことが気になっていた。
そして答えもまた、ひどく簡単だった。
悠也の両親は駆け落ち夫婦。幼い頃は悠也も一般庶民同様暮らしていた。けれど一ノ宮グループを継ぐものがいなくなり、本家へ呼び戻されたのだという。
そう教えられた真冬は納得しつつ席を立った。
「どこに行く気だ」
「帰ります」
真冬は基本的に人当たりが良い。人懐っこいし、誰とでもすぐに仲良くなれる。
けれど人間だ。一人くらい苦手な人もいる。そしてその苦手なたった一人の相手が目の前に座るこの男だ。
お見合いも、おそらくからかうために呼ばれたのだろう。幼い頃の記憶から、真冬はそう結論付けた。
「昔から人目を引く綺麗な娘だとは思ったが…まさか女優になるとは思わなかった」
真冬は女優という仕事自体は気に入っていた。子役としてずっとやってきて、昔から演じることは大好きだった。けれどテレビに自分が映っているのは未だに慣れないし、目立つのは好きじゃない。できれば静かにこっそり暮らしていたい。
そんな性分を知ってるからこその悠也の発言だが、真冬は小さく息を吐くだけで何も言わない。
「まさかお前、俺がからかうためにお前を呼んだと思ってないか?」
「思ってます」
即答する彼女に、悠也は苦笑いを浮かべた。昔から何一つ自分の予想通りには動かない女。それが真冬だった。10も離れてはいるもののその興味は尽きず、散々からかった。その結果がこの対応なわけだが。
「言っておくが俺はそんな暇じゃない。お前みたいな乳くせえガキを相手にすんのもごめんだ」
「私も…上役のおじ様がいらっしゃると思ってました。まさか10も離れたおっさんが出てくるとは…」
バチバチと火花を散らす。彼女がここまで他人に悪意を向けるのはこの男だけだ。
何故だか昔から、この男にだけは反論することも、嫌味を言い返すこともできたのだ。
「ふん。何言ってんだ。俺に媚を売っておけばお前は次期一ノ宮グループトップの嫁だったのに…」
一ノ宮グループ。様々なものを手がける複合企業だ。社長の気まぐれで世界経済がひっくり返る…社長の機嫌を損ねたものは社会から抹殺される…一ノ宮家の途方もなく広い庭にはライオンが野放しにされ、サバンナが広がり、山脈が連なり(以下略)云々…などと噂になるほどに巨大なグループだ。(ただし噂のほぼ全てがデマである)
一ノ宮グループの手がけるコスメには女優の真冬もお世話になっているし、何度かCMにも出たことがある。
どれほど大きなグループで、そのトップに立てばどうなるか、わからないはずもない。
「そんな地位、いりません」
「俺との結婚、何が不満だ?」
「全部。私は悠兄の奥さんなんて嫌です。第一犯罪ですよ!」
「ギリギリセーフだろうが」
「いーえ!犯罪です。私はまだ女優業を続けたいし、高校にも通っていたい。大学進学も考えてるし、理想の結婚だってあるんです」
「別に高校に通えば良いだろ。大学にも通え。女優業も続けろ。縛るつもりはねえ。俺も縛られるのは嫌いだしな」
「っ!なら尚更…結婚する意味なんでないでしょう!?第一、次期社長の奥さんが高校生だなんて格好がつきません。あなたがそれを承諾するとも思えない。何をお考えですか」
「お前、俺のことが好きだったろ」
真冬はその場でカチンと固まった。一時期は憧れたことがあったかもしれない。意地悪なくせになんだかんだで面倒を見てくれた悠也に、憧れるなという方が無理な時期はおそらくあった。真冬もそれは認める。けれど。
「何を根拠に…」
「昔言ってたぞ?“大きくなったら悠兄のお嫁さんになる!”ってな」
その瞬間、真冬はぶるっと震えた。
なんてことを言っちゃってんの、小さい私!
「何歳の頃ですか…」
「4歳だ」
「………無効です。私は悠兄なんて好きじゃありません。結婚もしません。金輪際好きになることもありません」
「なら試そう。俺がお前を落とせたら…覚悟を決めて嫁に来い」
「嫌です」
「なんだ、惚れない自信がないか」
「っ!違いますっ!そんなことにかける時間が勿体無いんです!」
言い切った真冬に対し、悠也はなんの反応もしない。けれど小さく息を吐くと、“この手は使いたく無かったんだがな”と呟き、妖艶に微笑んで見せた。
「…言っておくがこれは最大限の譲歩だぞ?」
「…え」
「お前は、父親にこの見合いの話を持ってこられた時、どう思った?」
「…たぶん私は、結婚するしかないな、と…」
それが全ての答えだった。真冬はぎゅっと下唇を噛む。
「交際期間、儲けてやろうか」
「…どうせ、仮面夫婦なのでしょう?いりません。大人しく奥さんを演じます」
真冬は苦々しくそう言うと、悔しそうに悠也を睨みつけた。
童顔で可愛らしい顔をした彼女が睨んだところで怖くもなんともないのだが、本人は気付かない。
そして悠也はというと、くつくつ笑っていた。
「よろしく、俺の嫁」
こうして、高校生にして真冬の結婚が決まってしまった。