ただよう、甘いヒト【完】
***
木曜日、夜の9時。
「……最近よく眠れないんだよね」
ぽつりと呟いた安城は、あたしを見るわけでなく遠くを見るようにして、薄く笑った。
それにはどこか自嘲的な思いが込められているような気がして、ふーんと相槌を打つことしかできなかった。
「織ちゃんちが一番落ち着く」
「酔った時しかこないくせに」
「あ、俺今嘘ついた」
「なに?」
「一番落ち着くのは美里んち」
「……あっそう」
「知ってる織ちゃん。あの部屋今、40過ぎのオッサンが一人で住んでるんだって。俺間違えてあの部屋に帰っちゃったら、すごいことになるよなあ」
ケタケタ笑う安城は、全く笑えないあたしに構うことなく左手で持ったビールを煽った。
あの部屋とは、生前安城の彼女が暮らしていたアパートのことだろう。
「……酔うと、美里に会いたくなっちゃって困る」
今日はやけに素直だと思った。
安城が今週部屋に来るのは3回目だった。
少しずつ彼女の話をしてくれるようになった。
嬉しいのか悲しいのか自分でもよく分からなかったけれど、安城はたまにあたしに辛い顔を見せるようになった。