偽りの御曹司とマイペースな恋を
彼女の始まり (学生編)
私がまだ歩という名前しか無かった頃。
預けられていた施設には小さいけれど図書室があって。
小説や漫画や少ないけれど絵本が置いてあった。
寄贈されて真新しい本もみんなが読むからあっという間にボロボロ。
特に人気のあるものは昼間は本棚に置いてあること自体少ない。
「あった」
読みたい本があっても怖がりなせいで手がでず順番も来なくて。
でもどうしても読みたい本がやってきて。
とうとうある日の夜部屋をこっそり抜け出して図書館へ侵入する。
ドアの鍵が老朽化でちょっと弄れば外れることも知っていたから。
誰も居ない真っ暗な廊下や図書館は1人ではとても怖かったけれど、
その代わりに何時もは読めない本を広い空間で独り占めできて幸せだった。
「誰だ」
「っ」
本を手に取り感激していた背後から声。
もう先生にバレたのだろうか。これは絶対怒られる。
ビックリして手から本が落ちて地面に不時着した。
「…落とすな。みんなの本だ」
「ご、ごめんなさい」
本を拾ってくれたのは先生ではなくて少年。恐らく自分より歳上だ。
人数はそう多くない施設。彼とはたまに廊下ですれ違うことはあるけれど、
話したことはもちろん無い。何でここに居るのかも分からない。
彼も同じように本を読みに来たのだろうか。
「こんなん読みたいのか?」
「うん。…よみたい…」
「ほら」
「いいの?」
「俺も読みにきた」
本を返してもらい大人に見つからないように隠れて読む。
暗いけれど楽しい世界。こっそり隠れて読んでいるドキドキ。
こんな夜の冒険他の誰もしてないだろうという優越感。
お陰で昼間は眠い。
だけどどうせ読みたい本も遊びたい玩具も永遠に順番待ちだ。
「いつろーくん」
「イチロ。一路だ」
「別にどっちでもいいよ」
「…可愛い顔してむかつくなお前」
3日もすればすっかり警戒心はとけて年上の少年にも話しかけられるようになった。
自分が読みたかったシリーズは寄贈されたもので新刊はまだ入っていない。
だから暇になって。ちょっと距離を置いてコソコソと読んでいる彼が気になる。
「なに読んでるの?」
本を隠し嫌がるそぶりを見せる一路。そんな風にされるとなお更知りたい。
グイグイ顔を近づけて覗き込んでみる。彼はさらに後ろにひっこんだ。
そんなに見られたくないものって何だろう。ますます興味が出る。
「お前、…カレーとか、好きか」
唐突な質問。
「え?うん。すき。だいすき」
「…そうか。今度食わせてやる」
「ほんと?やった」
「大きな声だすな」
「ごめん。…で、本は?」
「それも今度な」
カレーに騙された気がしないでもないが食べられるならいいか。
だんだんお腹が空いてきて本を戻しこっそりと部屋に戻った。
他の子たちはすやすやと眠っていて、自分もそれに混ざる。
物心付く前からここで生活しているからそれに何の疑問も抱かなかった。
「歩ちゃんのお父さんとお母さんだよ」
ある日突然お父さんとお母さんという人が訪れるまでは。
分からないままに荷物を持ってその人たちと施設を出た。
見送ってくれた先生たち。おともだち。そして、一路。
知らなかったから何もいえなかった。さよならもなにも。
「…かれー」
「歩ちゃんカレー食べたいの?」
「よし。じゃあ今夜はカレーにしような」
「……」
歩は幼いながらも悟った。
もう二度とあの場所へは戻れない。
夜図書館へ行くことも本も読めない。一路にも会えない。
カレーも食べられない。彼が読んでいた本も分からない。
その後、歩は名栖家の娘となり名栖歩として生きる事になった。