平凡な毎日に恋という名の調味料(スパイス)を
午後の銀行はそこそこ混み合っていて思ったより時間を取られてしまい、急いで買い物に回る。

砂糖は買った。今度は1本5gのものにしたけど、効果はあるだろうか。

あとは郵便局と文房具店。預かった封筒とまとめて郵送して、行きつけの文房具屋へ向かった。

ボールペンの替え芯をまとめ買いして、注文していたゴム印を受け取る。
会計を待つ間にふと目に入った、春らしい絵柄の一筆箋を自腹で買ってしまった。

ちょうど社のデスクに置いてある分が無くなりそうだったんだよね。

お客様とや会社間でする書類のやり取りなどに一言添えるのに使うのだ。そっけないメモ用紙より好印象を与えられると教えてくれたのは、去年の秋に寿退社した、高女子力の同期の子。

菜の花畑に蝶が舞っている柄は、見るからに春爛漫。まだ外の風は冷たいけれど、これくらいなら春を先取りしてもいいよね。



少しだけ浮かれた気分で帰社すると、会社全体が騒然としていてぎょっとした。

「なにかあったんですか?」

ちょうど電話を切った園田総務部長に、お使いの報告を兼ねて聞いてみる。

「ああ、北村くんは出かけていたから知らないのか。うん、ちょっと……」

眉根を寄せた渋い顔で大きなため息を吐き出し立ち上がる。

「みんな、聞いてくれ」

ざわざわとしていた事務室内が一瞬で静まりかえって、そこにいた全員の視線が部長に注がれた。

「いま、病院にいるご家族から電話をいただいた。とりあえず、命に別状はないということだ」

ホッ、という安堵の息があちこちからもれる。
一体なんのことか。私は一人、蚊帳の外。

「だが、しばらくは入院が必要になるらしい。社長がいないからといって、気を緩めずしっかり働くように」

言い終わると同時にざわめきが戻る。どこかへ行こうとする部長を捕まえた。

「あの、社長がどうかしたんですか? 私、お使いに出る前に会ったばっかりですよ」

まん丸い人の良さそうな顔は、まだ新しい記憶だ。

「だったらその後すぐだったんだね。急に倒れて救急車で運ばれたんだ。どうやら心臓らしい」
「そんな……」
「さっきも言ったようにいますぐ命がどうこうというわけじゃないみたいだし、そんなに心配するな。じゃあ、他の部署にも知らせてくるから」

すれ違いざまにぽんっと軽く肩に手を置いてから部屋を出て行く。それを呆然と見送っていると、今度は頭をぽすっと叩かれた。

「おかえり。ほらほら、仕事しよっ! 午後の仕事、みんな手が止まっちゃってて、ぜんぜん進んでいないんだよ」
「……吉井さん」

情けない声を出した私の頭を、丸めたクリアファイルでまた叩く。

「とりあえず、みんなの分のお茶を淹れようか。社長の無事を乾杯しよう?」

お茶で乾杯ってどうなの? 
でも、逞しい先輩をもって私は幸せだ。
給湯室へ向かう吉井さんの背中を追いかけた。

< 6 / 80 >

この作品をシェア

pagetop