平凡な毎日に恋という名の調味料(スパイス)を
あとでもう一往復しないとな。

すでに置かれている山を崩さないように段ボールを積み重ねていると、朝から無駄に明るい声が聞こえた。

「橘さん、おっはよー」
「おはようございます。大家さん」

晃はふにゃりとした笑みを返すと、大家が抱えていた大量の段ボールを持ってやる。
最近、通販にはまっているらしい、と孫が言っていたのを思い出した。
なるほど、健康食品会社やカタログ販売でメジャーな衣料品メーカーなど、多種多様の印刷がされた箱ばかりだ。

「あら、悪いわね。そうそう。あの子たち、ちゃんと役になってる?」
「はい。悠佳ちゃんも武志くんもがんばってくれていて。とっても助かってます」

橘亭のバイトの二人は、今どきの若者ながら、きびきびと働いてくれているので、晃も調理に専念できる。
晃が「本当にいい人を紹介してくれた」と礼を言うと、世話好きを通り越してお節介の大家は、ニヤニヤとした笑いを浮かべた。

「今度はあなたのお嫁さんをみつけてあげなくちゃね。橘さんも、もういい年なんだし」
バンッと背中を平手打ちされて、思わず息が詰まる。
「い、いやあ。それは……」

孫の悠佳から聞いていないのだろうか? 不審に思うが、少しだけ彼女の祖母に似ない口の堅さに感謝した。
恋人のことを知られた日には、今度は頼んでもいないのに仲人を買って出るに違いない。

いまはまだ、先を急いで彼女を戸惑わせたくはない晃だった。

店の分のゴミ出しも終え、晃は一度自宅へと戻る。
朝食は弁当を作りながらつまみ食いしたので、もう十分。
ようやくハッキリしてきた頭をさらに覚醒させるために、熱めのシャワーを浴びる。朝から放置していた髭を剃って髪を整えると、眼鏡を使い捨てのコンタクトに変えた。

着替えればもう仕事モードだ。時計を確認して店に下りた。

晃が開店前の店を掃除していると、肉屋、八百屋に魚屋が、次々と納品にきた。もちろん注文品もあるが、顔馴染みの店主たちはその日のオススメを勝手に入れてくる。
それをどう上手くメニューに取り入れるかが、料理人の腕の見せ所。

「今日もいいイカが入ったよ」

魚屋のオヤジが、数杯おまけしてくれた新鮮なイカが、今日の橘亭のオススメにもなりそうだ。

「里芋も大根も、いまの季節じゃないからなぁ」

独りごちながら八百屋が置いていった野菜を物色するが、今日の分には両方とも入っていない。
大根ならたしかこの前買ってあるはずだ、と思い出し冷蔵庫を開けようとすると、ドアベルが高らかに鳴った。
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