平凡な毎日に恋という名の調味料(スパイス)を
歩いて十分ほどの場所に昔ながらの商店街がある。そこの八百屋へ行くつもりだった。

真夏の太陽は、まだ午前中だというのにジリジリと焼ける様に熱い。
こんなときは、やはり車の必要性をあらためて思い知らされる。
もしあれば、市場へ直接買い付けに行くことも可能になるかもしれない、と夢が膨らむ。

「でも、買うとしたら軽トラか軽のバンだよな」

仕事に使うのだ。荷物が積めないことにはお話にならない。
晃はすれ違う様々な車種の自動車を見るともなしに眺めた。

ふと、あの梅雨の日に彼女が降りてきた車を思い出し、晃はぽりぽりと汗が浮き始めた鼻の頭をかく。
まさか、あれが彼自身の所有物ではないと思うが、大人げもなく対抗心を覚えたのはたしかだった。

思い返せば、自分にないものを持っている者を羨むということを、晃はあのとき初めて自覚したのかもしれない。
若い頃はその気持ちが理解できず、修行に入った料亭やレストランで始終先輩たちと衝突していた。手前味噌かもしれないが、彼らは晃の才能に少なからず嫉妬していたのだろう。

そして三十五になったいま、晃は彼の眩しいばかりの若い勢いが羨ましいと思ったのだ。

「いまごろになって、やっと先輩たちの気持ちがわかるなんて。ずいぶんと時間がかかったもんだ」

情けない想いを独りごち、さらに頭上高くなった太陽を眇め見た。


晃は八百屋で買い物をすませると、開店時間の迫った橘亭へと道を急ぐ。
行きは閉まっていたはずの雑貨屋のシャッターが開いていて、開け放たれたドアから覗く、色鮮やかな小物たちに目を奪われた。

「あれ?」

見間違いかと思って、確かめるために足を止める。
おじさんの部類に入る年齢の晃が入店するには些か抵抗があったが、身を屈めドアから顔だけ入れた瞬間に「いらっしゃいませ」と声をかけられてしまったので、肝を据えた。

目的の商品の元へ行き手に取ると、やはりそれはアレだった。そのあまりの出来のよさに自然と頬が緩んでいく。

「いま、そういうのが流行っているんですよ。お嬢様にいかがですか?」

彼女と同年代と思われる店員のにこやかな接客に苦笑いを返しつつ、同じものを二個買い求めた晃だった。
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