星の音[2016]【短】
「どうぞ」

「ありがとうございます」


覇気のないのは声音にも滲んでいて、カップにゆっくりと口を付ける横顔はまるで鈍色の空のよう。この男性がどうしてこんな顔をしているのかはわからないけれど、少しでも心が癒やされるようにと思わずにはいられなかった。


「……あぁ、美味しい」

「よかったです」


不意にぽつりと落とされた言葉に少しだけ驚いたけれど、私が笑みを返すと男性は微かに口元を緩めた。
それはきっと、よく見ていなければ見落としてしまいそうなほどの僅かな変化。それでも先ほどまでとは違う表情を浮かべてくれたことが、嬉しく思えた。


そのまま私と男性の間には沈黙が下り、店内にはいつものようにオルゴールの音色が流れているだけ。気まずさを感じないと言えば嘘になってしまうけれど、彼の横顔は肩の力が抜けたようにも見えて、少しだけホッとした。


男性のもとから離れ、レジ台に腰を預ける。店内の両端にいる私たちの間には相変わらず沈黙が漂っていたけれど、今はそれでいいと思えた。


自分用に淹れたカフェオレのマグカップに口を付け、ぼんやりと店内を眺める。そろそろ本の並べ方を変えてみるのもいいかもしれない、なんて考えていると、男性が静かに息を吐いた。


「……カフェオレなんて、数年振りに飲みました」


続けて零されたのは、やっぱり覇気のない声音。だけど、男性がなにか話そうとしているような気がして、私は言葉は発さずに小さな笑みだけを返した。


「昔はたまに飲んだんですよ……。妻がカフェオレが好きでね」


ゆるりと緩められた彼の瞳には、奥さんへの想いが溢れている。愛妻家なのかもしれないと、ふと思った。

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