[短篇集]きみが忘れたむらさきへ。
きみはこちら側には来られないから、いつもトンネルの向こう側へ行くのは僕だった。
底の厚いスニーカーで水溜まりを踏んで、きみの横に並ぶと、少し照れくさそうに笑う。
「行こっか」
きみが僕の手を取って、トンネル脇の苔蒸した石畳の階段を上っていく。
鬱蒼と茂る木々の葉が揺れて、いつまでも弾けない花火のような、丸い太陽と僕らの間に影を引く。
階段を上りきると、大きな朱色の鳥居の前できみは立ち止まって、先に駆けて行った。
僕は少し乱れた息を整えて、一番上の段に腰掛ける。
木漏れ日の隙間が不自然な影で埋まり、首を反らしながら上を向くと、額に澄んだ水のビンが当たる。
「今日もキンッキンに冷えてるよ」
耳を澄ますと、鳥居の向こう側からは湧き水の踊る音が聞こえる。
ラムネとはまた違う、水色のガラスビンに入ったサイダーを受け取り、両手に握る。
冷たいのに、夏の熱に触れたときような、鋭い痛みが指先に伝う。
きみは僕の隣に座って、サイダーを呷った。
「明日はコーラにしよっかなあ…… ねえ、──もコーラがいいでしょ、たまには」
「コーラは台風のあとの海みたいだから、嫌だな。明日もサイダーがいい」
「ええ…… じゃあわたしもサイダーじゃん」
好きにすればいいのに。
僕はサイダーが好きだけれど、きみはコーラが好きだってこと、知ってる。
僕が毎日でもサイダーを飲みたがるように、きみも毎日コーラを飲みたがる人だから。
「ねえ……」
突然、涙の色を含んだ声が聞こえたかと思うと、きみは僕の肩に縋って小さく泣き声を漏らす。
「明日も……会えるかなぁ」
去年のきみも同じことを言った。
きみの望む答えが努力で手に入るのなら、僕は何を犠牲にしてでもきみの元へ連れ帰るだろう。
だけど、それだけは僕にもわからない。