[短篇集]きみが忘れたむらさきへ。
不安にさせないと言い切れない、僕も存外、タチの悪い男だけれど。
「気持ちだけで何でも乗り越えていけるわけじゃないけど、大丈夫?」
自分の腹は決まったとばかりに、僕を試すような口調で、女はこちらを見据える。
昔から、瞳の揺れない女だった。動揺をおくびにも出さずに、冷静に物事を対処する。
時々、疲れたとぼやきながら僕の背中に額を擦り付けるけれど、泣き顔を見せたことはない。
「さあ。どうなるんだろうね」
こんな時は、曖昧に濁してしまうのが得策だ。
女は深追いしないし、僕も追われないことにホッとする。
「でもきみは例えば僕が不慮の事故で死んだって、泣かないんだろうね」
そんなことをぽろりと漏らしたのは、なんの気まぐれか。
舌の根が乾いてたまらなかったわけでも、沈黙が痛かったわけでも、女に急かされたわけでもないのに。
自然と、口からこぼれ落ちてしまった。
「…馬鹿にしてるの?」
普段より幾分か低い、怒らせてしまったとすぐにわかる声音が肌を滑り、耳の淵を這うように燻ぶる。
正確には、耳に一番に届いて、瞬時に鳥肌が立った。