[短篇集]きみが忘れたむらさきへ。
頭の中で、警告と警報が響いていた。
早く、何か彼女にメールを…いや、電話でもいいから、早く。
タイムリミットまでのカウントダウンのように、音が止まない。
手に汗が滲み、まともな思考が働かなくなった、その時。
静寂を裂くように、インターホンが鳴った。
次いで、控えめにドアをコンコン、と二度叩かれる。
来客が苦手な僕に、彼女が考えてくれた、二人だけの合図。
棒のようになった足を半ば引きずるようにして玄関に立ち、ドアスコープを覗く。
視線を俯ける彼女の表情は見えないけれど、その姿にたまらなくなって、震える手で鍵を開ける。
僕に出来たのはそれが精一杯で、後はまたぶらりと両手を下ろして、ただ立ち尽くす。
いつまで経ってもドアが開くことはなく、ただ気配だけが外にあった。
もう、わかっている。
自覚だってあった。
こんなに好きで、こんなに動揺させられて、どうしようもなく心をかき乱されて。
彼女を手放せないと言葉にしたことだってあるのに、どうしてこの手は何も掴んでいないのだろう。
何を前にしても無力なこの手は、ただ目の前のものを掴むことしか出来ないのに、それさえ躊躇う意味なんて。