[短篇集]きみが忘れたむらさきへ。


「君って、泣かないよね」


大して面白くもないバラエティ番組を2人で並んで観ていた時に突然、何の脈絡もなく告げれば、彼女は当然驚いた顔をした。


「どうしたの?」

「別に、何となく」


特に理由があった訳ではなく。

ただ何となく思っただけの事を口にするのは僕の癖で、理由を求められると返答に困る。

同じく口癖になってしまった“何となく”を引き出すと彼女はそれ以上言及してくる事はない。


少し考え込んだ後、彼女は口を開いた。


「…まあ、泣かないかもね」

「かもじゃなくて泣かないよ」

「そうかな…?」


あはは、と笑う彼女になぜか苛立ちが込み上げた。

上手くはぐらかされている気がする。


ひとしきり笑った後、彼女はふと真面目な顔をした。


「あなただって、泣かないでしょ?」


まさか聞き返されるとは思わなかった。

確かにそうだけれど、でも。


「男はいいんだよ」

いい大人になってまで泣くなんて格好悪い。

そもそも僕は彼女が思う以上に満たされているから、泣きたくなんてならない。


「私ね…」


伸ばしていた足を抱えて、彼女はその間に顔を埋めた。


「上手く笑える様になったと思っていたの」

「上手く…?」

「そう。でも違ったね」


長い髪の隙間から上目遣いで僕を見つめる瞳は不安定に揺れる。


「上手く泣けなくなったから、笑うしかなくなったの」


今にも泣き出しそうな顔をしているのに、その瞳から涙が出てくる事はない。


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