人魚花
泡沫の陰


**


打ち寄せる波の音が、宵闇の帷に包まれた浜辺に響く。

その静寂の隙間を縫うように、さく、さく、と、砂を踏みしめる音が鳴る。

不規則なそれを発するのは、粗末な身なりの旅人だった。

さく、さくり。足にまとわりつく砂を気にすることもせず、彼は、まるで糸で手繰り寄せられるように、ふらふらと歩いていた。

どうしてそうしているのかもわからない、どこに向かっていくのかもわからない。彼の目はぼんやりと波だけを映していて、このまま進めば水の中に入ってしまう。

けれど、彼の足は彼の意思とは無関係に、前へと進んでいくことをやめはしなかった。

──不意に風の中に潮の香りを感じて、彼はようやく、そこが海辺であることに気付いた。

月光さえも厚い雲間に隔てられた闇夜。けれど岬の先だけ、ぼんやりと光が浮かび上がっているように見えた。あそこに何かがある、と彼は感じる。海に浮かぶ、光の玉。けれど彼は、そのことを怖いとは思わなかった。

(……そうか、自分は、あの光に呼ばれているのか)

彼は悟る。同時に、彼の耳は、波と自分の足音の他に、かすかな別のものをとらえた。


──歌だ。


まるで囁くように、どこからともなく響いてくる旋律。

集中して耳を澄ますと、言葉も聞き取ることが出来た。



 いかないで 告げたことばも
 波と泡に呑み込まれて ひとり
 わたしはまた ひとり
 さびしいの さびしいから
 ここへきて 隣にきて
 一緒に夢を見ましょう?



弾むような可愛らしいメロディ。けれどその声はどこか悲しげで、そう思うほどにさらに、無意識に足が早まっていく。


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