人魚花
(……この人魚、なんなの?)
<彼女>は戸惑いが隠せなかった。
姿を見たいなどと言ってきたかと思ったら、今度は歌ってほしい、なんて。
(純粋な好奇心?それとも……)
──何かを企んでいる?
そんな風に疑心暗鬼になってしまう程度には、人魚という存在はこんな入り江とは無縁な存在であるし、<彼女>は他者からの好意とは縁遠い遍歴の持ち主であった。
(それはただのお願いなのかしら。それとも命令、なの?)
断って怒らせたら何かしてくるのではないか、そんなことを色々と考えた末に<彼女>は。
「……断るわ。あなたのために歌う理由なんてないもの」
ある意味素直に、そう答えることにした。
(関わりたくない、し)
自分自身にそう言い訳をする。
早々に歌って気を良くさせてあしらう手も考えたが、それで味をしめて通われたらたまらない。冷たく突き放して、二度と来ようとは思わないほど気を悪くしてしまえば良い。そう考えたのだ。
それなのに。
「……うーん、まあ、それもそうか。君からしたら、僕は得体の知れない侵入者、ってところだろうし」
少しだけ予想した通り、やはり彼は気を悪くした様子もなく、逆に<彼女>の言葉に納得すらした様子でふんふんと頷いている。
(……どうしたら良いの?)
全く自分の狙った反応を返してくれない人魚に半ば焦りを覚えながら、それでも『早く諦めて帰らせないといけない』という強迫観念にとらわれながら、<彼女>は先程の態度を崩さない様に続けた。
「……そうよ、侵入者だわ。……用がないなら帰ってくれないかしら」
「……」
きょとん、とした顔でこちらを見る人魚に若干の怒りすら覚えながら、<彼女>は続ける。
「私は貴方に用事はないの。邪魔だわ。帰って頂戴」
──かなり強めに出ているのは、一つには勝負でもあった。
気を悪くして、例えば<彼女>を引き抜こうとするとか、そういう可能性が全くないというわけではない。けれど何となく、『この人魚なら大丈夫そう』という直感を信じて、敢えて強気に出ているのである。