人魚花


(……やっぱり、私には孤独の方がお似合いだわ)

昨晩、何か唄をせがまれた時のことを思い出して、<彼女>はそんなことを思った。

<彼女>にとって唄は、歌うものではなく浮かぶもの。

必要があるときは別だが、それ以外なら心のままに歌っていきたい。誰かに聴かせるものではない。

(……綺麗、と言われるものでもないわ)

言われた言葉を思い出す。

本当に、そんな言葉をもらえるとは思っていなかった。

唄は、心が歌うもの。そして自分の心は決して綺麗ではないと、<彼女>は知っていたのだ。

あの言葉はお世辞で言っているものではなさそうだったけれど、でも。

……でもやはり、自分の歌とその評価は結び付かなかった。

(……本当に、変な人魚)

思い出せば思い出すほど、やはりその感想にたどり着く。

──『また来ても良いかなぁ』

別れ際に彼が放った言葉が、耳朶に蘇る。

『また』、そんなことを言っていたけれど、恐らくそんなのは二度と訪れないだろう。

(……来ようと思って来ても、容易にかたどり着ける場所ではないし)

容易ではない、よりは恐らくは不可能だろうと言うべきだろうか。

<彼女>のいる入り江のは人魚の住む場所から遠く離れている上、来るまでの道筋が暗く要り組んでいて、潮の満ち引きによって海流も変わるから、行き方を知らない者はまず来ようとして来れないものではない、という。

たまたま迷い込んだのであろうあの人魚が、また会いに来られる可能性は限りなく低かった。

(──そんなことより、生け贄を捧げなくては)

<彼女>は不意に思考を中断して、今自分がすべきことを思い出す。空にはもう既に、双子の月がおぼろげに光をこぼしていた。

(急がないと、海神様が来てしまう)

ほんの少しの焦りを感じながら、<彼女>は目を瞑って陸上の音をに耳を済ます。

都合が良いことに、獣のものとは決して違う二足歩行のものの足音が、そう遠くないところに感じられた。どうやら一人らしい。

こうも毎日人間を海に引き込んでいるのだから、危険だと噂がたっても良さそうなものなのに、このへんには毎日のように、ふらふらと放浪する旅人が通る。<彼女>はよく知らないが、人間の世界も、あの地震を機にどこか壊れてしまったのだとか。

(──まあ、都合が良いんだけれど)

声が届く──つまり、唄に含まれる音波が影響を及ぼすことができる範囲に相手がいることを確認すると、<彼女>はいつもの通り、呪いの旋律を奏で始めた。



 いかないで 告げたことばも
 波と泡に呑み込まれて ひとり
 わたしはまた ひとり
 さびしいの さびしいから
 ここへきて 隣にきて
 一緒に夢を見ましょう

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