人魚花
共喰う月
<彼女>は海の中にいた。
それはいつもと同じだけれど、全く違うことだった。
すべるように、踊るように、<彼女>は泳いでいた。──泳いでいたのだ。
当たり前のようにそこには地面に縫い付けられた根もなく、黒ずんで枯れ始めた蔦も葉もなかった。根の代わりに、桃色の──<彼女>が遠い昔に咲かせていた花の色の──ヒレがついていて、葉の代わりに、白い手を動かしていた。
<彼女>は人魚になっていた。
ふわり、くるり、と、<彼女>は水中を泳ぐ。
通り過ぎていく冷たい水が心地いい。
<彼女>は、どこまでも自由だった。
**
目が覚めた。
ずっと、これが夢だと分かってはいたから、起きてすぐに見えたものが自分の黒ずんだ醜い蔦でも、不思議と心は凪いでいた。
不思議な夢だった。
これまでは、夢で見るのは遠い昔のことだった。
仲間はいつでもそこにいて、美しい花を咲き誇っていて。
泳いでいる夢なんて、人魚になった夢なんて、見たことがなかったというのに。
(ロイレイの、せいでしょうね)
遠くを見ながら、<彼女>はそんなことを思った。
初めて会ってから十日ほど経った。あれから彼は飽きもせずに毎日毎日入り江へとやってきて、<彼女>の歌を期待して、たわいもない話をして帰っていく。
そんなこと、<彼女>にとっては煩わしいだけだ。<彼女>の目的は、どんなに禁忌とされる手を使ってでも、自らを堕としてでも仲間を蘇らせること。今さら他者との関わりなど、求めてはいないのに。
──それでも、いくら拒んでも冷たい言葉を返しても、変わらず訪れては他愛もない言葉をかけてくれるロイレイに、一抹の罪悪感を覚える自分もいて。
困ったことに、関わりを断たなければならないとわかっているのに、いつのまにか話に耳を傾けてしまう自分に<彼女>自身気がついていた。あの穏やかな時間を、どこかで待ち望んでしまっている自分を、捨てきれずにいた。
そんな自分が、<彼女>にとっては邪魔で仕方がないのに。