人魚花
「……嘘を、つかないでちょうだい」
冷たい自分の声が、彼に向かって放たれるのを聞いていた。
すっと心が凪ぐ。一度彼の嘘を理解してしまえば、先程までの動揺も躊躇いも、恐怖心だって、すっかり引っ込んでしまっていた。
「え?」
突然調子が変わった<彼女>の様子に、ロイレイはそんな声をあげる。
構わず、<彼女>は言葉を続けた。
「道に迷わない筈がないわ。いつも通りに来れる筈がないわ。……今日は月食よ。波が狂って、いつもの海路は閉ざされている。東側を通ってこないと、ここには入って来られない筈なのよ。いつも通りに来た、なんて、そんなの嘘でしょう」
<彼女>の言葉を聞いた彼は、はっとした表情を見せる。それからそれは、段々とばつの悪そうな顔へと変わっていって。そして、僅かな波が来る方向──恐らくは、彼が今日通ってきた入り江への抜け道に視線を向ける。
その言葉は、<彼女>の言葉が見当違いのものではないと雄弁に語っていて。
それから首を振ると、恐らくは何事かをこちらへ訴えるために、彼は水をぐんとかいて近づいて来ようとした──のだけれど。
「来ないで!」
しん、と、張り詰めた空間に、<彼女>の悲鳴が響き渡った。
びくり、と身体を震わせて、ロイレイが動きを止める。ただの植物の<彼女>には、叫ぶこと以外に彼を止める術は無いし、無視して近付かれたら逃げる術もないのだけれど、彼はその言葉をきいて、それ以上近付こうとはしなかった。
「ごめん」、と、彼が呟くのが聞こえる。<彼女>はそれには答えず、別の質問をした。
「……ずっと疑問だった。あなたがなぜ、毎晩この入り江に辿りつけるのか。海路を調べないと、一人でここになんて、来られる筈がないんだもの」
<彼女>の言葉だけが冷たく響く。
そして、ロイレイが弁明する前に、<彼女>は核心を突く質問を投げかけた。
「あなたは、誰かに言われて、ここへ来ているの……?」