人魚花


 いかないで 告げたことばも
 波と泡に呑み込まれて ひとり
 わたしはまた ひとり
 さびしいの さびしいから
 ここへきて 隣にきて
 一緒に夢を見ましょう


月光に応えるように、僅かな力を振り絞って花を伸ばす。

遠くに足音が聴こえる。人魚に会っていた十日余り、捧げることの出来なかった生贄を、今日こそは捧げなければならない。

足音はまだ遠い。焦る心を鎮めて、ただ歌を紡いでいく。

普段の歌と違って、憐れな人の子を迷わせるこの歌は、演奏者の感情を込めてはならない。無心に歌うことで出来る虚無が、聴いた人を迷わせる効果を生むのだ。


さびしいの どうすればいい?
もう 一人じゃ夢も見られない
冷たい 冷たいの
はやく となりにきて


ただ、無心に歌う。歌わねばならない。

今日はもう、あの歌を聴きにきたなどと言う侵入者に邪魔される可能性もないのだから。

未来永劫、あの人魚と会うことなんて、ないのだから。


──『僕の名前。ロイレイ、だよ』
──『君と話したいから』
──『また来ても良いかなあ?』


無心、に。……無心に。


寂しいの ここへきて
冷たいの そばにいて


──『君の歌が、聴きたくて』


(……──、さび、しい)


──それは、一瞬のこと。

<彼女>の歌はその瞬間確かに、感情を、<彼女>自身の想いを、孕んでしまった。

そして──歌にかけていた術は、その刹那、破かれる。

辺りを満たしていた歌の力が、ふっと消えていく。

足音が、遠のいていく。

(……あ……)

<彼女>は一拍遅れて、ようやく理解した。

(失敗……した……?)
< 47 / 54 >

この作品をシェア

pagetop