『それは、大人の事情。』【完】
「あぁ~、あの時ね。梢恵さんの電話を切った後、来た道を全力で走って戻ったんだけど、さすがにアレ持って走るのキツくてね。
で、食事したレストランの前を通り掛かった時、俺達のテーブルに挨拶しに来てくれたシェフが、たまたま最後のお客さんを見送りに店の外まで出て来てて、緊急事態だからってお願いしてカメラを預かってもらったんだ」
「えっ……あのレストランに預かってもらったの?」
そうだったんだ……あのレストランのシェフには、仕事でもプライベートでも迷惑掛けてしまった……参ったな。
「うん、一昨日は日曜でカフェが忙しくて取りに行けなかったんだけど、昨日の昼過ぎに取に行ってきた。ちゃんとお礼して謝ってきたから心配いらないよ」
「ならいいけど……」
会社絡みってのもあるし、私からもお詫びしといた方がいいかな。なんて考えていたら、缶コーヒーを飲み干した白石蓮が立ち上がる。
「そろそろ仕事しなきゃ……梢恵さん、一人で帰れる?」
さり気なく差し出された透き通る様な白い手。男性とは思えないほど滑らかな長い指。その手を握ると、彼の温もりが伝わってくる。
この手を離したくないと思うのは、やっぱ罪だよね。
「大丈夫。平気だから……」
「じゃあ、気を付けて。あ、それと、ホテルの予約状況が分かったらまたラインするね」
「分かった」
惜しみながら手を離すと、彼は笑顔で清掃会社の事務所に戻って行く。私はまだ彼の手の温もりが残る右手をギュッと握り、重い裏口の扉を開けた。