『それは、大人の事情。』【完】
「そんなの……無理です」
そう、今まで男に期待して、何度辛い想いをしてきたことか……もうあんな想いはしたくない。
暫くの間、私と部長の間で押し問答が続いた。
「私の事なんて何も知らない部長が、どうしてそんな事言うんですか?」
「あぁ、知らないよ。でもな、俺は朝比奈が好きなんだ。好きな女がセフレだなんて、イヤに決まってるだろ?」
「……えっ」
思いがけない部長の言葉に体が固まる。
「一昨日の夜、俺がなんで朝比奈を自分の部屋に連れて行かなかったか……分かるか?」
小さく首を左右に振ると、座椅子の背もたれにもたれ掛かった部長が大きく息を吐く。
「それはな、朝比奈の言うセフレになんかなりたくなかったからだ。お前の体だけが目的だと思われたくなかった。だからあの日、お前を抱かなかったんだよ」
「あ……」
あの時、部長はそんな事を考えていたの?
「でもどうして?私と部長は、あの飲み会で隣の席になるまで一度も喋った事なかったじゃないですか。なのに、なぜ私を……」
その質問の答えが返ってくるまで、数分の時間が掛かった。部長は、あの焼き肉店で私がしたみたいに指を絡めると、切れ長の目を細める。
「居酒屋で朝比奈が隣に座った時、どこか寂しげなお前の目を見て、なぜかそそられた。部下にそんな感情を持ったのは初めてだったから焦ったよ。
だから自分の気持ちを抑えようと必死だった。でも酒が入ると、どうしても朝比奈が欲しくなって……酔った勢いで二人で飲みに行かないかって誘っていた」