『それは、大人の事情。』【完】
今まで付き合った男達も、皆初めはそれらしい事を言って気のある素振りしてたもの。
私は自分が思っている以上に臆病になっていたのかもしれない。
そんな私の気持ちなど知る由もない部長が、機嫌良く松御膳を食べ始め「今夜、飲みに行こう」と誘ってくる。
「あ~でも、二人で帰ったら怪しまれるな。どっかで待ち合わせするか?」
それならと、私はある提案をした。会社ビルの正面玄関ではなく、警備室のある裏口から出ようと。そこは以前、元セフレ達と待ち合わせていた場所。最近では、経理部の課長と待ち合わせしていた。
社員の中に裏口の存在を知ってる人は少ない。それに、その経理部の課長を含め、裏口を知ってる元セフレ達は既に異動になってて、ここにはいない。
「裏口の横に自販機が置いてある小さなスペースがあるんです。そこで待ってますから」
「裏口があるなんて知らなかったな。分かった。じゃあ、そこで待っててくれ」
話に夢中になっていたせいで、昼休みが終わる時間が迫っている事に気付かなかった。
慌てて残っていた茶碗蒸しを平らげ、部長を残して"藤"を出た。ホテルの回転扉を抜けると湿気た生暖かい風が髪を揺らす。
「ヤダ、また降ってきた……」
仕方なく小雨の中を勢いよく走り出したんだけど、数メートル走ったところでさっき部長に言われた言葉を思い出し、思わず立ち止り振り返っていた。
期待しちゃいけないと思っているのに……私は部長を求めてる。