『それは、大人の事情。』【完】
✤ でも、愛が欲しい
定時を過ぎ、残業するフリをしていた私は、部の社員が半分程帰ったのを見計らってオフィスを出た。そして人目を避け、部長と待ち合わせした裏口へと向かう。
一階の階段横の"関係者以外立ち入り禁止"と書かれた扉を開けて、薄暗い通路を少し歩くと自販機の明かりがぼんやり見えくる。
裏口に来るのは、経理部の課長と別れて以来だから……一ヶ月ぶりだな。
ここの自販機は、どういうワケかオール百円。いそいそと百円玉を取り出し缶コーヒーを買おうとしたが、いつも買ってた缶コーヒーが売り切れになってる。
恨めしそうに赤く点灯した"売り切れ"の文字を眺めていたら、突然後ろから「残念だったね」という声が聞こえ、完全無防備だった私の呼吸が、一瞬、止まる。
―――誰?
慌てて振り返るとそこに居たのは、キャップを深々と被り清掃会社のユニホームを着た背の高い男性。
「今俺が買ったのが最後だったみたいだね。良かったらこれ、どーぞ」
見れば、彼の手に私が買おうとした缶コーヒーがしっかり握られている。
「いえ、結構です……」
恐縮して一歩下がるが彼はそれを許さず、目の前に立ちはだかると素早く私の手を包み込む様に缶コーヒーを握らせた。
「あっ!君は……」
その顔には見覚えがあった。キャップから覗く少しウェーブがかかった艶のあるダークブラウンの髪に、透ける様な白い肌。そして薄いブルーの瞳。
偶然にもその清掃員は、あのお気に入りのカフェで見掛けたオーナーの甥っ子、白石蓮だった。
「いつもこれ飲んでたでしょ?」そう言って微笑む彼に「どうして……」って疑問の言葉を返す。