『それは、大人の事情。』【完】
「梢恵さんがこの缶コーヒー飲んでるの見て、俺もこれ飲むようになったんだよ」
まだあどけなさが残る屈託のないその笑顔は、初めて彼を見た時と同じ印象を私に与えた。
―――綺麗な子……
でも、今はそんな呑気な事考えてる時じゃない。沢山の疑問が湧いてきて、頭の中は軽くパニック。
どうして彼がここに居るの?なぜ私がこの缶コーヒーを好きだって知ってるの?
不信感一杯の目でその整った綺麗な顔を凝視していたら、拗ねた様に唇を尖らせた彼がポリポリと頭を掻く。
「あ~ぁ、やっぱ、俺の事気付いてなかったんだ」
「えっ?」
「俺、一年前からここに勤めてるんだけど……」
「一年前から?ここに?」
知らなかった……
「まぁ、知らなくて当然か……一流企業の優秀な男の人に囲まれてる梢恵さんが、清掃員なんかまともに見ないよね?」
一瞬言葉に詰まった。確かに、このビルには何人かの清掃員が働いている。が、私は彼らの顔も知らない。と言うか、目の前で掃除をしてくれてても、全く気にもしていなかった。
「でも俺は、あなたをずっと見てましたよ」
「ずっとって……」
引き気味の私に、彼は飄々(ひょうひょう)とした顔で言う。
「だって、梢恵さん、ここでよく男性と待ち合わせしてたでしょ?俺が勤めてる清掃会社の事務所、警備室のすぐ隣りだから丸見えだったんだ。
でも、数ヵ月経つと相手が変わってたよね。最近は見ないと思ってたけど、ここに来たって事は、また新しい彼が出来たのかな?」