『それは、大人の事情。』【完】
「ちょっと頑張り過ぎたかな……」と息を弾ませ苦笑いする真司さんの胸に頬を寄せ、私はある決心を口にした。
「私、会社を辞めようと思うの」
「会社を? 本気で言ってるのか?」
彼に抱かれながらずっと考えてた。これからは、真司さんだけを想い生きて行こうって。その為には、心の中から蓮という存在を消す必要があった。でも、あの子が近くに居る限り、完全に忘れるなんて出来ないかもしれないって思ったんだ。
会社に行けば、どんなに避けていても偶然顔を会わせる事だってある。それならいっその事、会社を辞めて蓮とキッパリ縁を切った方がいい。
「うん、専業主婦もいいかなって……子供も早く欲しいし」
「そうか……俺は梢恵が仕事を続けてもいいと思っていたんだけどな……お前がそうしたいのならそうするか」
「急にごめんなさい。二十日締めだから出来たら九月二十日までって事で……いいかな?」
「まぁ、本来なら一ヶ月前までに言ってもらわないと困るんだが、仕方ない。月曜日に退職願を提出してくれ」
これでいい。これでいいんだ。会社を辞めて、あのカフェにさえ行かなければ、蓮と会う事はない。
もう一生、少しウェーブがかかった艶のあるダークブラウンの髪も、透ける様な白い肌も、そして薄いブルーの瞳も見ないで済む。そうすれば、きっと忘れられる。
「それと……もう一つお願いがあるの」
「んっ? なんだ?」
あなたの体で忘れさせて……蓮の事を考える暇もないくらいあなたに夢中させて欲しい……
「―――もう一度、抱いて……」