『それは、大人の事情。』【完】
片方の口角を上げ笑う彼に恐怖を感じ、ゾクリと寒気がした。
「こんな事言ったら悪いけど、梢恵さんの今までの彼って、あんまりいい噂聞かない人ばっかだったんだよね~。で、今度の彼は、どんな人?」
なんなの……この子?私の事、どこまで知ってるの?
言葉に詰まり視線が泳ぐ。その時、背後から「朝比奈」と私の名を呼ぶ声がした。
「部長……」
部長は白石蓮をチラッと見て「知り合いか?」って不思議そうに聞いてる。
「い、いえ、行きましょう」
慌てて部長の腕を掴み裏口のドアノブに手を伸ばす。けど、私より先にノブを掴んだ白石蓮が勢いよくドアを開け、ニッコリ微笑んだ。
「お疲れ様です。雨が降ってますから気を付けてお帰り下さい」
部長の目には、この笑顔の白石蓮が親切な青年に映ったのだろう。「有難う」と声を掛け、笑顔で右手を上げている。
「部長、早く……」
ドット柄の傘を広げ、急かす様に部長の腕を再び引っ張った。
「何慌ててるんだ?」
「別に慌ててなんか……」
そう、何も慌てる必要はない。後ろめたい事があるワケじゃないし、私が誰と付き合おうと彼にはなんの関係もないんだから。
それでも心の奥に引っ掛かった何かが私を速足にしていた。そして、傘の柄と一緒に握り締めていた缶コーヒーを部長に気付かれない様に素早くバックに押し込む。
その後、部長に美味しいお寿司をご馳走になっている間も、白石蓮に対するモヤモヤとした気持ちが消える事はなかった。