『それは、大人の事情。』【完】
でも彼は私の問には答えず、ただひたすら私を抱き締め、狂った様に「愛してる」と叫んでいた。そして、数えきれないほどの「愛してる」の後に、信じられない言葉を口にした。
「俺と……別れてくれ」
「えっ……」
真司さん、今なんて言ったの? 別れてくれって言わなかった? まさか……違うよね。私の聞き間違いだよね。彼がそんな事言うはずないじゃない。だって、愛してるって散々言った後に言う言葉じゃないもの。
抱き締められたまま、まるで夢でも見てるみたいな……そんな感覚だった。でも、それは夢でなく紛れもない現実で―――
「すまない。梢恵とは結婚出来ない」
「……なぜ?」と聞き返すのが精一杯だった。あまりのショックで頭の中が真っ白になり、目の前の景色まで色を失っていく。
真司さんは脱力した私の体を更に強く抱き、今度は「すまない」という言葉を繰り返している。
「どうして別れなきゃいけないの?」
当然の疑問をぶつけると、彼はその決意のワケを語りだす。
「絵美の所に行くようになって気付いたんだ。こんなに長い間、アイツと一緒過ごした事はなかったなって。結婚していた頃より、俺達は沢山話しをした。
そして、分かったんだ。絵美がどんな気持ちで俺の帰りを待っていたか。どんな思いで眠れぬ夜を過ごしていたのかを……
専務の娘婿だというプレッシャーに押し潰されそうだった俺は、とにかく仕事で結果を出すことばかり考え、絵美が何を思い、何を求めていたかなんて気にもしなかった。俺は、自分の事しか考えてなかったんだよ」