絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅴ
コンコン。
午後10時のノック。まさか、
「久司!!」
「会議が……」
「ちょっと聞いて! もう今日大変だったの!」
「どうした?」
久司は、驚きながらもすぐにベッドの脇に腰かけてくれる。
「今日、烏丸萌絵って女の人が来たんだけどね、その人知ってる?」
「さあ……、すぐには思い浮かばないな」
「でさ、すごいキレイなお花持って来てくれたんだけど。けどすごい怒ってて……。
話がよくは分からないんだけど、多分、私が巽さんと付き合ってる上で、四対さんを烏丸さんから奪った、みたいな話だってね。もうさあ……すごい怒ってて最悪だったよ……頭痛すぎて倒れてた」
「大丈夫か!?」
「うん……ベッドの上だったから平気……寝てただけかもしれないけど」
久司は安堵したように大きく溜息を吐いてから、
「無理はしない方がいい。考えそうだったら、深呼吸をして……」
眉間に皴を寄せながら見つめてくる。
「あの時は無理だったよ。わけが分からないのに必死に怒ってるから私も平謝りするしかなかったし……。でね、最後に言い放ったのが、巽さんに会わないで、だったの。もうなんだか、突然結婚の話は出るわ、女は出るわでもうなんか……」
「……それは大変だったな……」
「そんな酷い人だったの、私……」
「いや……その辺りの交友関係は全く分からないが……」
「なんかその……巽さんだってさ、あぁいう風に言ってるけど、烏丸さんがそう思ってるんなら別にどうでもいいし。そもそも今好きでもないのにそんなこと言われたって、私もどうしていいか分かんないし」
「まあまあ、そう決めつけずに。なんなら巽さんに聞いてみる? 電話番号分かるから」
妙に巽の肩を持つが、そんなにも仲が良いのか……。
「……いいよ。別に。正直、何も分からない状態で何聞いたって分かんないし」
「そんなことはないよ。聞けばすっきりする。考えるのをやめる手助けになるよ」
聞いて、悪い話だったらすっきしきれないかもしれない。
「……いいよ。話したくもないし……。そもそも私は別に、あの人と付き合うとか、そういうことも考えてないし。なんかちょっと気難しい感じがするしね。言ってることも難しいし。なんかこう、一歩引いてくれない感じ」
「…………とにかく今日は大変だったな……」
言いながら、背中をさすってくれる。それが心地いい。だけどそれは、ただの人としての心地よさで、眠りたくて目を閉じた。
なのに、
「……これから、どうする?」
これからったって……。目を開かざるを得なくなる。
「…………これから……。これからは、退院したら実家で住んで……」
「前は巽さんの所に住んでたみたいだけど」
「そんな……知らない人の所でなんて住めないよ……。
家帰って、傷が治ったら仕事するよ。宮下店長には一応相談してるから。その、5年の記憶がなくてもどこかで働けるかどうか」
「……あまり、急がずに」
「大丈夫。今だって既に結構暇なんだよ。毎日誰かしらお見舞いには来てくれるけど……。
あそうだ。夕ちゃんは来たけど、阿紗子は?
忙しいのかなあ。でも、その烏丸って人が来たのに阿紗子が来てくれないなんてね」
「ぁぁ……」
「え? 何?」
久司の不安気な表情にすぐに気付いて、ただ黙ってその端正な横顔を見つめて待った。
なんだか、とても言いにくそうで……ひょっとして知らない間に何かあったのか……。
「え……何?」
耐えきれずに聞いた。
「……愛」
久司はどこか仕方なさそうに、そして決心したように名前を呼ぶと、じっと目を見て口を開いた。
「この5年で色々な事が起こった。だけど、大丈夫。俺達はいつもそばにいる。お前のことを決して見放したりはしない」
その、長く細い指がやんわりと頬に、一瞬だけ触れた。
「え……何……」
なんだか嫌な事が起ころうとしている。それがはっきりと分かった。
「落ち着いて聞いてくれ」
久司は私の手をぐっと握った。なんだかとても、嫌なことだということだけは充分伝わって。
「待って………。
聞かなきゃダメ?」
聞かずにはいられない、知らずにはいられないことは分かっている。だけど、それを受け止められる勇気が、すぐには出てこない。
「ああ。落ち着いて聞いてくれ」
そして、久司は続けた。
「阿紗子は死んだ。3年前だ」
「…………え」
声にならない声が小さく鳴った。
「事故だ…………」
手だけはしっかり握っていようと思ったが、逆に愛は鬱陶しいとでもいうように、さっと手を払い、
「事故……」
と、繰り返した。
「車の事故だ。トラックと衝突して……。免許を取ったばかりだったから仕方なかったんだ」
そう、それが自殺だかどうかということは、どうでもいい。
「事故……」
俯いたまま、再び繰り返す。
榊はたまらなくなって、
「どうしようもない、事故だったんだ。愛と同じように」
「………」
ようやく顔を上げてくれる。
「事故というのは生きている限りつきまとうものだ。そうやって、不運な事故に巻き込まれて死んでいった人はたくさんいる。医療でそれが、救えない時もあるんだ」
矛先を少し変えてやると、愛は小さく頷いた。
「つい昨日くらい…会ったような気がするのに……」
愛は視線を遠くにやった。
顔を近づけ、泣いていないか確かめる。
「わっ!!」
ふいにこちらを向こうとした愛と顔が重なりそうになって、場違いに明るい声が上がった。
「びっくりしたー」
良かった、顔がいつものようになっている。考えすぎないよう、セーブできるようになった証か。
「ごめん」
俺はそっと身体を引いて立ち上がり、腕時計を見る。
「なんだかよく、分からないけど」
愛は、それでも続けた。しかし、顔はしっかりと前を向いている。
「今は考えるのをやめておくわ…」