絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅴ

「佐伯と西野さんのことです」

「…………」

 また、……やっかいな質問だな。

「ああ………」

「その顔からして、何か知ってますよね?」

 何も意識はしていない中、表情から内心を見破られるとは、少し嬉しい。

「……あぁ」

 だが、話の内容が複雑すぎて、素直には喜べない。

「何があったんですか? どうして私のお見舞いには来なかったんですか? 

 いや、忙しいだけどか、行く必要ないといえばそうですけど。

 実際記憶もなくて変な状況だし。

 でも、携帯も全部確認したけど、ずっとメールも電話もなくて。

 だって、月に一度はカラオケとか食事して、だからその度にメールとかしてたのに。

 それに、玉越さんや永作は? もしかして、違う店に行って疎遠になったのなら別にいいんですけど」
 
 内容が多すぎて、しかも重すぎて、一度には吐ききれない。しかも、ここで例え誤魔化しを言ったとしても、すぐにバレてしまう。

 何か考えておくべきだった。
 
 香月が聞きたいことがあるから話しをしたい言った時、どうしてその可能性を考えなかったのか……ただの食事に浮かれすぎてた。

 香月は記憶を失くして、俺の都合が良いように生まれ変わったんじゃない。
 
 そう思い直して、ふんどしを締め直す。

 左手薬指の指輪を確認した。

 そう俺は、結婚して、既に子供が2人いる。

 この5年、香月の周囲は信じられないスピードで変化していったのだ。

「………………」

 俺は、しばらく黙って考えこんでしまっていた。

 この5年を色々思い出して、それを整理しながら話すということが、なかなか難しい。

「……あの……言えない事情とかがあるんですか?」

 たまりかねた香月が聞く。

「いや、……言えないことは一つもない」

 そんなことはない。俺とお前が付き合っていたという過去は、そしてお前がロンドンの医者の所に行って別れた話は、そんなことは絶対に口には出さない。
 
 それが……俺なりの愛情だ。

「なかなか、ハードな話だと思う。この5年は本当に色々あったから。俺も何から話そうか悩んでるだけで……。

 まあでも、一つずつ話していくよ。思い出しながらだから時系列が前後するかもしれないけど」

「……私の事は知ってますか? その、佐伯達のことももちろん知りたいけど、私自身のことも知ってたら、それも、教えて下さい」

 それはつまり……。付き合っていた過去を知りたいということなのか。

「…………」

 目をじっと見た。

 香月も見返してくる。

 聞きたいのか?

 本当に…………。

「……。俺から見るに、……佐伯と、香月と西野はすごく仲が良かった。 

 俺が風邪で寝込んでるところへ家に見舞いに来たこともあった」

「あぁ……それは覚えています。確か……」

「そうか、あれは5年以上前のことか」

「…………」

 そこで香月が動きを止めていることに気付いた。

 テーブルの一点に集中し、まるで聞いていない。

「香月? どうし……」

「……」

 段々呼吸が荒くなり、右手できつくおしぼりを握っている。

「香月?」

 尋常ではない様子に、俺はすぐに腰を上げ、側に寄った。

「私……まさか、妊娠した?……」

「えぇ?」

 一体誰の子を妊娠したというのだ?

 わけが分からないが、少し震えているようなのでとりあえず背中をさすり、

「香月? 大丈夫か?」

 顔を覗き見た。

 何かにおびえるように眉間に皴を寄せている。

「鍵が……鍵がずっと開いてて」

「え?」

 鍵?

「逃げられなかった……」

 言いながらテーブルに頭を伏せた。

 鍵が開いていたのに逃げられなかった?

 妊娠……。

「…………大丈夫だ。大丈夫。……悪い奴なんてもういないよ」

 頭を上げさせ、震える身体をここぞとばかりに引き寄せて抱きしめた。

 あぁ、そうだ。香月の身体は柔らかく、そして重みがあるスポンジのようだった。そうだった。

「私、妊娠してない?」

 監禁事件だ。そうだ、監禁事件で休んでいた時に俺の家へ遊びに来たんだった。

 軽率だった……。

「してないよ。大丈夫。俺はずっと香月を見てきたから。

大丈夫……。悪かった。思い出させて。
 
それに、遅い時間にこんな所まで来させて悪かった。帰りは送るよ。安心してくれ。

家までちゃんと送る。玄関に入るまで見届けるよ」

「…………」

 すぐに震えはおさまった。

 鍵が開いてたって……、そうだったのか……。そういえばあの時の詳しい話は聞いていない。とても聞けるような状況ではなかった。

 続けて、背中をさすってやる。

 お前はいつもそうだ。周囲の男を狂わせる。長い髪の毛の一本一本までもを欲しいと男に思わせるんだ。

 そうやってうるんだ瞳を惜しげもなく見せつけ、挙句の果てに身体を摺り寄せて抱き着いてきてもなお、心はどうせここにはない。

 だけど俺も……ここぞとばかりに抱きしめ返し、匂いを嗅ぐ。分かっていてもそうしてしまうんだ。

 妻ではない、もっと甘い狂うような香り……。

 やはり指輪をしてくるのではなかった。

 今なら、全部捨てられるかもしれない。

「…………その先は?」

「え?」

 長い沈黙の後、落ち着いた香月はようやく口を開いた。

「その先……今日はやめとこう。本当に、結構ハードな話だから……」

「いつ聞いたって同じです、きっと」

 そして俺の胸からそっと離れる。

 そうだ、そうなんだ。いつもお前は俺を見ていない。胸をわしづかみにしておいて、当然のようにそっと離れる。

「……、……」
 
 やり場のない想いだけが溢れそうだったはずだが、それらはすぐに萎み、頭をすぐに回転させ始める。

 玉越の自殺の話が先に頭を巡った。だけど、さすがに口からは出ない。

「……佐伯は結婚して、最上になった。だけど離婚したんだ。今は子供が1人いる。確か女の子だったよ。旦那さんは同じエレクトロニクスの人。最上 祐介(もがみ ゆうすけ)」

「……佐伯、結婚したんだ……。え、私は結婚しなかったんですか?」

 目が合ったので、ここぞとばかりにじっと見つめた。

 結婚しようと思ったさ、何度も。

 そばに置いておきたかったさ、一生。

 だけどお前がさせなかったんだ。

「……してないよ、誰とも」

 ほら。お前から先に目を逸らす。

「そっか……佐伯は結婚して子供もいたんだ……。最上……全然知らないな……」

「そうだな。旦那の方とは接点はなかったと思うよ」

「それで西野も結婚したんだ。西野の方が先だったかな。年下の奥さんでな。でも、確か奥さんが家出したりして。その間香月が手伝いに行ってたよ」

「えっ!?!? 私!? 」

「香西さんから聞いたことがある。若い奥さんだったらしい」

「香西店長ですか? 何で香西店長に……」

「その時の店の店長だったからだよ。けど西野も離婚してな。事故に遭ったり、大変だった」

「事故……?」

「離婚した後、子供と一緒にいる所で車に跳ねられて。子供は無事だったんだが、結構入院してたよ」

「………入院?……」

「そうだな……。玉越と永作はエレクトロニクスを辞めたよ。それ以降は知らない」

 それでいい。

「全然……もう、何がなんだか……」

「……ちなみに西野もエレクトロニクスを辞めてる」

「えっ!? 西野さんが!? 何でですか!?」

「それが……酷な話なんだが。

 離婚して生活が大変になってな。不正をおこして懲戒解雇だ」

「そん………」

「今はどうしてるのか知らない。佐伯はエレクトロニクスに籍はあるが、まだ育児休暇中だ」

 一気に言った。できるだけ、軽く。

「佐伯はともかく。……西野さん……え、結婚、離婚、事故…懲戒解雇?」

「西野も子供ができて色々あったんだよ……多分な。結婚したら他人には分からないことが増える」

「…………全然……想像もできないことですね……」

「……離婚した時、予想はついていたと香西さんは言ってた。それくらい不安定な関係だったらしい。奥さんが若かったしな。

 佐伯もいつ復帰するのか知らないが……」

「育児に忙しくてお見舞い来られなかったんですかね……」

「いや、うーんまあそうかもしれないが……。

 実は、佐伯はギャンブルで二千万もの借金をしてな……」

「え!? 二千万!? 」

「香月はその肩代わりをしたんだ」

「…………」

 香月は俺から目を離そうとしない。

「え、私……借金があるってこと?」

「いや、その辺りはどう解決したのか俺はよくは知らないが。おそらく完済はしていると思う」

「え、私返したの? そんな貯金ないでしょ。親に借りたの? まさか……」

「香月は一度辞表を出したんだ。佐伯の借金肩代わりで夜の水商売の世界に入ることにして」

「ええ!? 何で私が……」

「けど俺がその辞表を一時預かっておいてな。その時一緒に住んでたレイジさんと色々相談して、榊さんに頼んで鬱の診断書を書いてもらって、休職にした」

「ちょっ、えっ、ええー!? 宮下店長、ひっ、榊さんと知り合いだったんですか!?」

「知り合い……まあそうだな、今は。俺の同級生が榊さんと同僚で、その関係で知り合い程度ではある」

「へー……世の中どこで繋がってるか分かりませんね」

「……まあな」

「あ、あとそのレイジさんとも連絡がとれないんですけど、どうなのか知りませんか?」

「さあ……そっちは全く。ほとんど話を聞いたこともない。

けど確か、レイジさんともう一人の人と香月が住んでいて、結局レイジさんが家を出てその後真籐さんが入ったみたいだから。真籐さんに聞くといいかもしれない」

「真籐さんって……副社長の?」

「いや、息子の方。人事部の」

「どんな人か全然分からないけど、一緒に住んでたんだ……」

「そうだ。一緒に住んでいたよ」

「そっか……あ、そっか……。私も本社で少し話を事があったかもしれない。

その後仲良くなったのかな……。まあそれはそれでいっか……。

 で、借金なんですけど」

「休職していた期間にしたら短かったから、もしかしたら彼氏が払ったのかもしれないよ」

「彼氏……」

「……あの、巽さん、という人」

「あぁ……そうなんですか……。そっか……そっか……」

 どこで納得いかないのか、香月はしばらくそっか、を繰り返し、

「でもそれで佐伯は私に連絡してこないのかな……」

「まあ、そうだろうな。2人の間でどういうやりとりがあったのかは知らないけど、香月は辞表を出してるくらいだし。

 けど、その後香月は本社に復帰したんだ。それからは真面目に仕事をしていたかな。その前は本社が嫌で店舗に帰りたいってゴネてたけどようやく諦めたようだった」

 それくらいは少し伝えておこう。

「真面目にって私、不真面目だったことがあるんですか?」

「結構あったよ。会社途中で抜け出して佐伯とディズニーランドに行ったこともあった」

「えー!?!? 私最悪ですね!! 」

「まあそれでも本社としては香月が必要だったから」

「私一体どんな仕事してたんですか、そんな馬鹿なって感じですけど……」

「やる時はやるんだよ。でなきゃそもそも本社になんて来られないし」

「……そうなんですか……。にしてもあれですね、本当大変な5年だったんですねー」

 その呑気さに笑えた。

「宮下店長も変わったんですよね。指輪してるし。結婚したんですか?」

 突然触れられてギクリとした。

「あぁ、これ……」

 指輪を見ても、いつもと同じプラチナのシンプルなリングだ。

「…………結婚したよ。子供も2人いる」

 そう……それ以外にどう答えられる。

「そっかあ……みんな結婚したんだ。何で私結婚しなかったんだろうなー」

 その苦笑する姿を見て、脱力感だけを覚えた。

 あぁ、やっぱり香月、お前だけは俺の手には負えないのかもしれない。
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