絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅴ
「俺の話が信じられない時は、後からでも今からでも榊医師に聞けばいい」

 思わぬ名前に視線が上がった。

「…………」

 パイプカットしてるとか、そういう話じゃないでしょうね……。

 ようやく、呼吸が整ったので、シーツで身体を隠して話を聞く体勢だけは整えた。バスローブを羽織り、あぐらをかく巽と、対面するように膝を崩して座った。

「……」

 ただ、顔だけは上げられなかった。

「……」

 巽は、何度か、息を吐く。何か言いかけて、やめているようだ。

「…………」

 何度かそのやりとりが続き、ついに

「これから話すことは、過去に起こった事実と、幾分たがわぬ話だ……。

 俺とお前の過去の話だ」

 そこで、言葉を区切ったが、顔を見ようとは思わなかった。

 巽は続ける。

「まず、俺にはどうしても結婚して子供を作るということに抵抗があった。

 何故なら、過去、女を妊娠させて死なせたからだ」

 ……ワケアリか……。

「当時のその女が、妊娠して死んだことは後になって知った。だが、今でも命日には墓参りに行っている」

 ……。納得して、頷いた。

「だから、俺は……お前が結婚したいと言ってきた時、どうしてもそういう気持ちにはなれずにいた。

 お前は、結婚せずに子供だけ産むだの、代理出産だの、色々な案を出してきたが、俺はそれには乗らなかった。そしてある時、子供ができない身体にするとまで言ってきた。だから俺は別れるこことを提案した」

 どっぷりハマってたんだ…………。そりゃハマるよ……こんだけ良い人だったら……仕方ない。

「だが、それには同じず、結婚もせず、子供も作らないことを条件の上でそのまま一緒にいることを決めた。

 だがしかしその後、お前が俺の友人、附和薫と同じホテルで泊まった事をきっかけに喧嘩した」

 項垂れるしかなかった。何度浮気すれば気が済むのだろう………。

「お前は何もないと言い、俺もそれを信じたかった。附和のことはよく知っている。そういう男ではない。だが俺も、信じながらも強く迫った。

 その結果……、お前は俺の前から姿を消した」

 附和物産の社長、附和薫。四対に附和に……お金持ちの友達が周りに増え、遊びまくっていたんだろうな……。

「ここから先は後から色々聞いた話をまとめたものだが、実際にお前の周りにいた人物から聞いた事だ、ほぼ間違いはない……」

 反応を待っていることが分かったので、ただ、頷く。

 この白い液体と、何がどう関連しているのか、どんな言い訳をするのか、聞かないでもない。

「俺の家から出て行ったその足でお前は、佐伯春奈と落ち合い、借金の相談を受けた」

「それが、二千万の……」

「そうだ。そこには既に金融会社の男、水野が同席していたらしい。そこでお前は、全額肩代わりし、水野が紹介するクラブで働くことに決めた。エレクトロニクスを辞めてな」

「……あぁ……そこで、宮下店長が久志に頼んで診断書書いてもらったんだ」

「そうだ。それで休職扱いにした。クラブで働きながら水野の家で過ごしていたお前は、それなりの売上があったものの借金の返済を早めたい一心で枕営業もしていた。

 そして、クラブのママから避妊手術ができる病院を聞き、そこで、避妊手術をした」

「……………………」

「それで……」

「待って」

「……」

「何? 誰? 避妊手術したの?」

「……お前だ。今回の精密検査の結果でも、お前の卵管が切られていることははっきり画像で映っている」

「…………え……」

 切られているって何?

「……」

「え、何で…………なんで…………なんで…………」

 白いシーツを見つめることしかできない。

「最初にお前の気持ちを受け入れられなかった。俺の責任だ」

「…………」 

 何も、言い返す言葉がない。

「…………」

 しばらく、沈黙が続き、顔も頭もぼんやりしてくる。

 涙はとめどなく流れるし、何も言葉が浮かばない。

「卵管を切っても再建手術というのがあるらしい。が、可能かどうかは、分からないそうだ……。ああまり期待は持てない、と榊医師は話していたが、相談には十分乗ってくれるだろう」

「……それって今さら子供作ってもよくなったってこと?」

 巽の返しがあまりにも遅く、そこが話の核心であることを、その時ようやく悟った。

「最低」

 そう思ったので、そう放った。

「……………、俺は、お前が子供を産むことで死ぬくらいなら、子供は産んでほしくないと思っている」

「そんなの、勝手じゃん…………」

 今、息をしているのかどうかも分からない。

「……………………」

 何が事実で、何が過去なのか。何も分からなくなる。

「…………」

「……続きを、話そうか?」

 巽が覗き込んで聞いてくる。聞いたこともないような、優しい声だった。

「まだあるの?」

 不安で眉間に皺が寄ったが、

「あとは、その後の流れだけだ」

 その落ち着いた声に騙されるように、再び、ただ頷く。

「借金は佐伯春奈と当時付き合っていた裏千家が支払い、お前はクラブを抜けた。そこで俺もよようやくお前に会った。だが、生活費やドレス代の200万円の借金は残り、自分で払うと言ってきかなかった。だから、アパートを貸したりしたがな……。

 俺が耐え切れずに、エレクトロニクスに戻してもらった。家ももちろんアパートは引き払って俺の家に住んでな…………」

「………それで、終わり?」

「……そこから先は、つい最近の話だ。12月の、転落事故の辺りの話になる」

「それも言って」

 俯いて聞くことにする。

 巽は、一度息を吐いてから続けた。

「お前と四対の仲は親友といえるべきものだった。俺はそれを信じている」

「…………」

 返答する言葉もない。

「エレクトロニクスの副社長、真藤氏が四対の結婚相手を探し始め、自由党の烏丸幹事長の娘、萌絵を連れて5人で食事に行った」

「あー……会った。会ったよ……」

「……真藤氏に?」

「烏丸さんにだよ。すごい怒られた……」

「…………、だが四対は全くその気もなかったが、周りが強引にクリスマスの食事会を決めてな。
 なんとか真藤氏以外の4人が都合がついたところで、ホテルで落ち合ったが、四対はお前と一緒に外へ出た」

「それって、もしかして、その瞬間キスとかした?」

「……いや、……俺の知る限りでは……」

「烏丸さんが知る限りでは?」

「ないと思うがな……」

「烏丸さんが、公共の場所であんなこと、信じられないって確か……だから、もしかしてと思って……」

「四対がお前をエレベーターに乗せて逃げたことだろう。お前は相当驚いた顔をしていた。あれは単に四対の策だった」

頭を抱えたくなる。

「…………それで?」

「その後お前は四対が持つ四対ヒルズの一室で四対と共に朝まで過ごした」

「…………」

 巽の顔を見た。相手も、こちらを怖いくらいに見つめている。

「だが、ケーキを作っただけだと言う。………だが、俺はそれを信じられなかった」

「…………だよね……」

 納得だ。

「いや、後になって、冷静になると分かる。2人で俺のためにフルーツケーキを作ったということが。だがその時は、……俺も残された烏丸を慰めたりで少々頭にきていたからな」

「あー………私、最低……私も最低、ほんっと最低」

 転落事故が起こるまでに、一体何度浮気を疑えば気が済むのか……自分でも情けなくなる。その上卵管なんて…、それは、巽の意思どうこうというよりは、自分の意思でしたのではないか…。

 …………一体………何を考えていたんだ……私は……。

「その後2日ほどは普通に……お前と俺は仕事に行きながらも、夜は1日は一緒に家で過ごした。残りの1日、転落の2日前は俺は京都に泊まったから、それほど詳しいことは分からない」

「………」

「そして事故の朝、俺は仕事を思い出して書斎でいた。お前は仕事だったから時間になれば起きてくるだろうと思っていた。

 だが、早い時間に玄関のドアが開く音が聞こえた。何か……コンビニで買いたい物があったとか、……おそらく仕事前に欲しい物があったせいでエレベーターを待つ時間も惜しんで階段で下りて行ったんだと思うがな」

「………それって何だったんだろう……」

「仕事前に買えば済むと思うんだが。そうしなかった理由は分からない。

 だが、お前は時々思い立ったらすぐ行動する節がある。あまり、不思議ではないかもしれんがな……」

「この寒い中に思い立ったらすぐすぎでしょ……。でも、朝パリパリのパンが食べたくなったととか、そういうことだったのかなあ……」

「かもしれんな。マンションの近くにあるパン屋にはよく行っていた」

「ダイエットに階段で行ったのかもしれないね……。そんなに急いではなかったけど、単に階階段踏み外したのかもしれないし」

「…………」

 突然巽は、ふっと笑顔を漏らすと、溜息を吐いて、

「…………そうだな」

「……それ、笑うとこですか?」

「…………、いや」

 と言いながらも、顔は笑っている。

 それに反して香月は、大きく溜息を吐いた。

「……………」

 ようやく、頭痛を気遣える間が出来、額に手を当てる。

「お前の人生を変えたのは俺だ。俺は、お前を一生守って生きていく」

 何故このタイミングでそんな言葉が出て来るのか、さっぱり分からない香月は、何も返事をせずにただ視線を逸らした。


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