絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅴ
目は覚める。必ず。
そう信じていても、覚める確率というのは誰にも分からないものだ。
それを知っている榊は、口をへの字にしたままで、白い包帯を頭に巻き、シーツの中に埋もれる香月愛の白い顔を見つめ、それと同じように白い顔で見入る父親の顔を見た。
香月の父親と会ったのは、本当に久しぶりだ。香月が幼少の頃、樋口家のホームパーティで見かけたのが最後で、まさかこんな風に国立病院に研修に来たタイミングで、再会するなど思いもよらなかった。
母親、兄弟とは初対面で、後妻だったということだけを思い出す。
「それにしても、私はあなたのことを一度も娘から聞いたことはありませんでしたが……5年も前からお付き合いされていたとは」
父は娘の手術の間おそらく色々な事を考え終わり、容体がなんとなく落ち着いたICUの部屋の隅で立ちっぱなしの、巽という男にまるで独り言のように話しかけた。
榊は、ちら、と巽を見る。
こちらの顔色も悪く、居心地も悪そうだ。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
巽は掠れるような声で、それだけ言った。
「俺は知ってたよ。業界でも有名な人だ。結婚するつもりはないみたいだけど」
兄のチクリとした言葉は、ただ宙に浮くかと思いきや、
「いえ、結婚するつもりでいました。プロポーズも一度断られました。二度目にプロポーズした時は受け入れてくれたようでしたが、話はあまり前には進んでいませんでした」
「年も離れているしな」
父親はここぞとばかりに攻める。
「愛ちゃんに彼氏がいたなんてね……」
母親は少し寂しそうに、愛の顔を覗き込んだが、すぐに顔を離して仕方なさそうに溜息を吐いた。
長い髪の毛がつつややかで年の割に整えているものの、それの美しさは決して愛が持ち合わせているものではなく、ただ後妻という言葉だけが印象的に残る。
榊は、一時、周りを忘れてその母親とは違う白い顔を見つめた。
樋口のお嬢様が死んで……愛……お前までこんな早くにいなくなるなんてことはないと、俺は信じている……。
信じている。
その瞬間、瞼がゆっくりと開き、目が合う。
あまりに思いがけないタイミングだったので、動きが止まって言葉が一瞬遅れた。
「愛!!」
タイムラグの後、隣で父親の大声がし、愛の視線も逸れる。
「あぁ、良かった。目が覚めなかったらどうしようかと思った」
「はあぁぁぁ……良かった」
「愛ちゃん!! 私よ、分かる?」
みな口ぐちに歓喜を上げる中で、巽は1人、額に手を当てて安堵しているようだった。
「……なに……」
酸素マスクの下で小さく口が開く。
榊は手首に指を当て、脈を測りながら、
「おはよう。目が覚めるのを待ってたよ」
次いで、額に手を当て、麻酔でまだ熱があることを確認する。
「……あつい……」
「布団を剥ぐよ。毛布一枚にする」
「わたし……」
「頭を10針縫ってるから、あまり動かさないように」
「え……」
愛は自然に手を頭にやると、包帯を確認した。
どうやら左側の麻痺はないようだ。
次いで、右手でも頭を触る。右も大丈夫そうだ。
「愛! 心配して、皆来てるぞ!!」
そう父親が言ったが、巽は遠慮して愛には近づこうとはしない。
「愛ちゃん、正美もみんな来てるわよ!」
「目が覚めなかったらどうしようかと思ったぞ。ほら、巽さんも来てる。みんな心配したんだぞ。階段から足を踏み外すなんて一体、何をそんなに急いでたんだよ」
兄は笑いながら言い、巽はようやく父親が居る方ではなく、逆の空いたスペースに小さく入り込んで愛の顔を見た。
愛は視力が弱い。それを考慮して顔を近づけたのだろう。
「え?」
その時の愛の顔にピンときた榊は、すぐに臨戦態勢を整える。
「誰?」
愛はやはり、兄に問うた。
「君、一体誰だね!?」
父親がきつく巽に問いただしたが、代わりに兄が
「いや待て、え? 巽さんだよ!」
「愛は知らないと言ってるぞ」
父親はものすごい形相で巽を睨んだ。
「お父さんはちょっと黙ってて。愛……巽さんだよ」
「……私の知り合い?」
視力が悪いせいで、一部始終が見えない愛は、ただぼんやり巽を見つめている。
「さあ、まだ今は目が覚めたばかりで体調が整っていません。これから診察もしないといけないし、一度みなさん外に出ましょう。ナースを呼んできます。
愛、気分は悪くない?」
言いながらPHSでナースを呼び、ベッド脇へ腰かけた。
「……あつい」
「毛布も半分剥ぐよ」
と、上半身を剥いだが
「足があつい」
「あそう、じゃあ逆に」
「トイレに行きたい」
「…あ、ごめん。管がうまく下りてなかった。これで大丈夫だよ。尿はパックの中に勝手に入るから。自力でトイレに行けるまでは管からね」
「……いつ?」
「明日。今日だけだよ」
そこまで説明すると扉がガラリと開く。
「目が覚めましたか?」
ナースが2人、順番に入って来る。
「うん、とりあえずご家族の方には出てもらって」
1人のナースにそう指示すると、視線を変え、
「みなさん、外で少々お待ち下さい」
その通り、数人が部屋を出たが、父親は違う方を向き、
「ちょっと君は下がっていてくれ。家族でもなんでもないんだぞ?本人も知らないと言っている」
と、巽を拒んで立ち止まった。
「いや待てよ。誰ってそんなこと…」
兄がすぐに間に入る。
「もう嫌で他人になりたいんだろう」
「そんなまさか……」
榊は黙って全員と目を合せ、次いで父親と顔を合わせた。
「今がどういう状態なのか診察しますので、みなさん静かに外でお待ちください」
そう信じていても、覚める確率というのは誰にも分からないものだ。
それを知っている榊は、口をへの字にしたままで、白い包帯を頭に巻き、シーツの中に埋もれる香月愛の白い顔を見つめ、それと同じように白い顔で見入る父親の顔を見た。
香月の父親と会ったのは、本当に久しぶりだ。香月が幼少の頃、樋口家のホームパーティで見かけたのが最後で、まさかこんな風に国立病院に研修に来たタイミングで、再会するなど思いもよらなかった。
母親、兄弟とは初対面で、後妻だったということだけを思い出す。
「それにしても、私はあなたのことを一度も娘から聞いたことはありませんでしたが……5年も前からお付き合いされていたとは」
父は娘の手術の間おそらく色々な事を考え終わり、容体がなんとなく落ち着いたICUの部屋の隅で立ちっぱなしの、巽という男にまるで独り言のように話しかけた。
榊は、ちら、と巽を見る。
こちらの顔色も悪く、居心地も悪そうだ。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
巽は掠れるような声で、それだけ言った。
「俺は知ってたよ。業界でも有名な人だ。結婚するつもりはないみたいだけど」
兄のチクリとした言葉は、ただ宙に浮くかと思いきや、
「いえ、結婚するつもりでいました。プロポーズも一度断られました。二度目にプロポーズした時は受け入れてくれたようでしたが、話はあまり前には進んでいませんでした」
「年も離れているしな」
父親はここぞとばかりに攻める。
「愛ちゃんに彼氏がいたなんてね……」
母親は少し寂しそうに、愛の顔を覗き込んだが、すぐに顔を離して仕方なさそうに溜息を吐いた。
長い髪の毛がつつややかで年の割に整えているものの、それの美しさは決して愛が持ち合わせているものではなく、ただ後妻という言葉だけが印象的に残る。
榊は、一時、周りを忘れてその母親とは違う白い顔を見つめた。
樋口のお嬢様が死んで……愛……お前までこんな早くにいなくなるなんてことはないと、俺は信じている……。
信じている。
その瞬間、瞼がゆっくりと開き、目が合う。
あまりに思いがけないタイミングだったので、動きが止まって言葉が一瞬遅れた。
「愛!!」
タイムラグの後、隣で父親の大声がし、愛の視線も逸れる。
「あぁ、良かった。目が覚めなかったらどうしようかと思った」
「はあぁぁぁ……良かった」
「愛ちゃん!! 私よ、分かる?」
みな口ぐちに歓喜を上げる中で、巽は1人、額に手を当てて安堵しているようだった。
「……なに……」
酸素マスクの下で小さく口が開く。
榊は手首に指を当て、脈を測りながら、
「おはよう。目が覚めるのを待ってたよ」
次いで、額に手を当て、麻酔でまだ熱があることを確認する。
「……あつい……」
「布団を剥ぐよ。毛布一枚にする」
「わたし……」
「頭を10針縫ってるから、あまり動かさないように」
「え……」
愛は自然に手を頭にやると、包帯を確認した。
どうやら左側の麻痺はないようだ。
次いで、右手でも頭を触る。右も大丈夫そうだ。
「愛! 心配して、皆来てるぞ!!」
そう父親が言ったが、巽は遠慮して愛には近づこうとはしない。
「愛ちゃん、正美もみんな来てるわよ!」
「目が覚めなかったらどうしようかと思ったぞ。ほら、巽さんも来てる。みんな心配したんだぞ。階段から足を踏み外すなんて一体、何をそんなに急いでたんだよ」
兄は笑いながら言い、巽はようやく父親が居る方ではなく、逆の空いたスペースに小さく入り込んで愛の顔を見た。
愛は視力が弱い。それを考慮して顔を近づけたのだろう。
「え?」
その時の愛の顔にピンときた榊は、すぐに臨戦態勢を整える。
「誰?」
愛はやはり、兄に問うた。
「君、一体誰だね!?」
父親がきつく巽に問いただしたが、代わりに兄が
「いや待て、え? 巽さんだよ!」
「愛は知らないと言ってるぞ」
父親はものすごい形相で巽を睨んだ。
「お父さんはちょっと黙ってて。愛……巽さんだよ」
「……私の知り合い?」
視力が悪いせいで、一部始終が見えない愛は、ただぼんやり巽を見つめている。
「さあ、まだ今は目が覚めたばかりで体調が整っていません。これから診察もしないといけないし、一度みなさん外に出ましょう。ナースを呼んできます。
愛、気分は悪くない?」
言いながらPHSでナースを呼び、ベッド脇へ腰かけた。
「……あつい」
「毛布も半分剥ぐよ」
と、上半身を剥いだが
「足があつい」
「あそう、じゃあ逆に」
「トイレに行きたい」
「…あ、ごめん。管がうまく下りてなかった。これで大丈夫だよ。尿はパックの中に勝手に入るから。自力でトイレに行けるまでは管からね」
「……いつ?」
「明日。今日だけだよ」
そこまで説明すると扉がガラリと開く。
「目が覚めましたか?」
ナースが2人、順番に入って来る。
「うん、とりあえずご家族の方には出てもらって」
1人のナースにそう指示すると、視線を変え、
「みなさん、外で少々お待ち下さい」
その通り、数人が部屋を出たが、父親は違う方を向き、
「ちょっと君は下がっていてくれ。家族でもなんでもないんだぞ?本人も知らないと言っている」
と、巽を拒んで立ち止まった。
「いや待てよ。誰ってそんなこと…」
兄がすぐに間に入る。
「もう嫌で他人になりたいんだろう」
「そんなまさか……」
榊は黙って全員と目を合せ、次いで父親と顔を合わせた。
「今がどういう状態なのか診察しますので、みなさん静かに外でお待ちください」