絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅴ
4月15日、階層店舗オープン2週間前、先に倉庫だけがオープンした。
だからといって、この日は荷物の量が増えたり減ったりするわけではなく、トラックを着ける場所が変わる程度のことなので、なんとかトラブルもなく過ぎていく。
問題は翌日からだ。増築店舗の方に商品を入れるため、荷物が過剰に入荷してくる。そのままどんどん店舗の方に搬入するのだが、その作業は手順を誤ると大幅に遅れてオープンができなくなる怖さがあるので、何日も前から山城や本社の精鋭部の応援メンバーと段取りを確認し続けていた。
荷物は5日かけて毎日入荷してくる。残りの日にちで値札を張ったり、並べ替えなどの手直しし、5月1日ようやくオープンになる。
既存店では処分セールが15日から更に進んでいるし、1日の前日から当日にかけては、商品の補充やプライスの張替で徹夜組が出る。
24日、オープンを間近にし、オープン当日の配達業者の待機の数や件数や枠をもう一度確認したところで、完全に寝入ってしまい、気が付けば朝だった。
しまった、25日は定例会議があり、今回はチーフも参加するようになっているので、早く切り上げて帰ればよかった。
後悔している間に会議の時間になる。早く行って山瀬と話をしようと思ったが、既に棟方が来ていたので、計算が外れた。
ただ、山瀬は普通に話しかけ、
「……なんか、相当疲れてるみたいですね」
と、言うので
「実は帰りそびれたんですよ。寝落ちして」
「え゛」
社内ではお互い敬語に務めているが、最後の「え゛」は明らかにプライベートのものだった。
それに気づいた棟方が、
「おい、ちゃんと帰って寝ろよ。倒れるぞ」
「す……すみません……今日は早く、帰ります」
山瀬の前で、あまり話しかけないでほしい、と下を向く。
「お前も、オープンが近いからって残業あんまりすんな。早く帰れよ」
山瀬のにこやかな顔を横目で見たかったが、彼女は真顔で
「はい」
と、頷いただけだった。
そうだ。これがリバティなのだ。返事は「はい」の一言でいい、というスタンスなのである。それに慣れていない自分は、なんたらかんたらといつも言ってしまい、こうやって他人を見て気づかされることが多い。
先日の九条専務の時もそうだ、後から考えれば、「はい」の一言で済んだ質問もあっただろう。まともに話すぎる、というのが今の香月の難点なような気がして、少し気が滅入っていた。
考え事をしているうちに、ぞろぞろ人が入ってくる。
今日は、マネージャーを中心に、サブマネージャー4人、チーフ10人が揃っている。倉庫オープン前も一度このメンバーで集まったが、特に何もなく、ただマネージャーが通達を出しただけで終了したので、今回も30分くらいで終わるといいんだが……、無理か。今回は増築店のオープン前だし、1時間はかかるんだろう。
前の長机にマネージャーが1人で座り、その周囲を囲むように、4つのテーブルでコの字を作ってサブマネージャー軍、チーフ軍、山瀬が座る。
新任の草薙サブマネージャーの下に、家具の木内、貴金属の永峰、家電の椎名に続き、須藤、棟方、鳴丘サブマネージャー、やそれぞれの下が集う。
草薙サブマネージャーは確かにキレ者らしく、25歳という若さで次々とコーナーを仕上げていいっているそうだ。人使いが荒いがそれなりに上手らしく、一度その下で働いてみたいと素直に思う。
「それでは、定例会議を始める」
勝己のいつもの一言で始まった。ほとんどは資料にもある注意事項や段取りの再確認、質問提案タイムなどだ。だが、ほとんどは事前に上げられ照査されているので、ただ口にしただけというに過ぎず、形通りの40分が過ぎる。
「ではこれで質問がなけけば終わりにするが」
と、言った瞬間、溜息をつく暇もなく、
「あの」
永峰の声が聞こえて頭を上げた。
永峰は挙手している。
勝己はただ頷いてみせた。
「5月1日からのオンライン全品配送料金無料のことについてのご指示がありませんでしたが」
寝耳に水の香月は、飛び上がるように、永峰を見た。
リバティは現在もオンラインで注文を受け、本社で振り分けられた分を各店舗から配達に出しているが、送料はそれなりにかかるので、そこそこの数だ。
だがそれが、今やどこのオンライン店舗も実施していない、全品配送料金無料などと……。
「本当ですか!?」
香月は無意識に立ち上がり、勝己に問うていた。
「香月」
すぐに鋭い目つきの棟方にダメ出しされ、椅子に座り直す。
ただ、勝己は冷静に答えた。
「私はまだ何の報告も受けていないが、永峰チーフはその報告をどこから受けたんだね」
さすがにその口調には怒りがこみ上げていた。
「独自に本社から仕入れました。既に通達メールが来ています」
完全に断定したところをみると、嘘やはったりではなさそうだ。
「私はまだそれを見ていない。
それを見て、協議する必要がある場合は再び定例会議を開く。今は以上だ」
即座に勝己は立ち上がり、部屋から出た。
残された者は、各々溜息を吐くが、香月はさすがにそれだけでは済まなかった。
もし本当だとしたら……。
オンラインの作業員を増やさなければならない事態に頭を抱えている場合ではないが、そうせざるを得なかった。シフトの変更、流れの確認、場所の確保、早く帰るどころではない。
「あなた」
その、威嚇するような女性の声に、香月は再び顔を上げた。周囲中の視線が、草薙マネージャーに集まっている。
草薙の目の前には、机を挟んで永峰がいた。
「どうして私の判断もなしに、今ここで言ったの?」
まだ20代半ばの草薙が、50を超えたらしき永峰を完全に食っている。
「私が質問したかったからです。勝己マネージャーは皆さんに質問がないか、と問うたのですよ」
「言ってる意味が違っているわ」
草薙マネージャーが上をいっていることは明らかだったが、永峰のその、年齢と堂々たる風風格が、いかにも仰々しい。
「既にメールは届いています。私の発言は間違っていません」
下がらない永峰に、草薙が口を開いた瞬間、後ろから肩をたたかれて驚いて振り返った。
「……」
鳴丘が、手招きし、外に出るうよう親指を指す。
まだ言い合いを続けている2人と、取り巻きを後目に、先にドアの外へ出た。
「杉本に電話しとかなきゃ。永峰に気をつけろって」
携帯を見ながら笑って言う鳴丘は、さすがだ。見慣れているのだろうか。
更に、既に廊下の先へ行った棟方の後ろ姿を見て、ハッとオンラインのことを思い出す。
「その……」
「もしもし?」
鳴丘はこちらのことなどお構いなしに楽しそうに電話を始めた。しかし、足は動いていたのでそのまま黙って付いて行くことにする。
「荒れ放題だよ。今日はかなりキテるよー、永峰チーフ。絶対話しかけない方がいい」
相手は大根顔の杉本のようだ。
「え? いや、フフフフ、いや、面白がってはないよ、面白がってはないけどね」
明らかに面白がっている鳴丘は、そのまま一階の事務所に入り、自分のパソコンを開き、メールを確認した。
本当だ、最重要事項と名を打って、オンラインの件のメールが届いている。しかも受診時刻は10分前。
さすがに今の永峰は、正気とは思えない。
鳴丘はけらけら笑いながらも、その内容を素早く印刷してくれる。
手に取って確認する。中身は永峰が言った通り、全品送料無料だ。しかし、期限つきで、5月の1か月間と決まっている。
しかし……。
香月は、プリントから顔を上げる。他のメールも確認し終わった鳴丘も、ようやく電話を切った。
「応援が来るように手配はされているからシフト変更は大丈夫だと思うけど、場所の確保や流れの再確認、作業の最終責任者を確認しとかないといけない。虎丸さんは商品集めもダメだよ。絶対見誤るから」
寅丸はそういう所が雑だということは、既に香月も学習している。
「…はい。となると、出荷チェック者に柊さんをくわえますか?」
「いや、オンライン作業の出荷責任者は人数を増やさない方がいい。しんどいかもしれないけど、今まで通り、鳴丘、香月、山城でいこう。柊をいれると絶対精度が下がる。
オンラインは、注文した商品と届いた商品が絶対合っていることが最低の条件だけど、そこを覆すことがあるからね、うちみたいな、オンライン専門店じゃない場合は。
でも、そうなるわけにはいかない。数が増えても、絶対最終責任を取る覚悟の人間じゃないと責任者は任せられない」
早口でしゃべり倒した鳴丘は、先ほどまでのふざけた顔を捨てて、続けて携帯を触る。どうやら山城を倉庫事務所で待機させておき、話しに行くようだ。
「さあ、事務所に行って色々確認しとこう。もう時間がない」
「はい」
一気に負担がのしかかる。ありえないほど、急な展開に、息をのんでしまう。
「だぁいじょぅぶだよ」
ポン、と背中を叩かれ、思わず足が一歩前へ出た。
「僕がついているから、……ね」
だからといって、この日は荷物の量が増えたり減ったりするわけではなく、トラックを着ける場所が変わる程度のことなので、なんとかトラブルもなく過ぎていく。
問題は翌日からだ。増築店舗の方に商品を入れるため、荷物が過剰に入荷してくる。そのままどんどん店舗の方に搬入するのだが、その作業は手順を誤ると大幅に遅れてオープンができなくなる怖さがあるので、何日も前から山城や本社の精鋭部の応援メンバーと段取りを確認し続けていた。
荷物は5日かけて毎日入荷してくる。残りの日にちで値札を張ったり、並べ替えなどの手直しし、5月1日ようやくオープンになる。
既存店では処分セールが15日から更に進んでいるし、1日の前日から当日にかけては、商品の補充やプライスの張替で徹夜組が出る。
24日、オープンを間近にし、オープン当日の配達業者の待機の数や件数や枠をもう一度確認したところで、完全に寝入ってしまい、気が付けば朝だった。
しまった、25日は定例会議があり、今回はチーフも参加するようになっているので、早く切り上げて帰ればよかった。
後悔している間に会議の時間になる。早く行って山瀬と話をしようと思ったが、既に棟方が来ていたので、計算が外れた。
ただ、山瀬は普通に話しかけ、
「……なんか、相当疲れてるみたいですね」
と、言うので
「実は帰りそびれたんですよ。寝落ちして」
「え゛」
社内ではお互い敬語に務めているが、最後の「え゛」は明らかにプライベートのものだった。
それに気づいた棟方が、
「おい、ちゃんと帰って寝ろよ。倒れるぞ」
「す……すみません……今日は早く、帰ります」
山瀬の前で、あまり話しかけないでほしい、と下を向く。
「お前も、オープンが近いからって残業あんまりすんな。早く帰れよ」
山瀬のにこやかな顔を横目で見たかったが、彼女は真顔で
「はい」
と、頷いただけだった。
そうだ。これがリバティなのだ。返事は「はい」の一言でいい、というスタンスなのである。それに慣れていない自分は、なんたらかんたらといつも言ってしまい、こうやって他人を見て気づかされることが多い。
先日の九条専務の時もそうだ、後から考えれば、「はい」の一言で済んだ質問もあっただろう。まともに話すぎる、というのが今の香月の難点なような気がして、少し気が滅入っていた。
考え事をしているうちに、ぞろぞろ人が入ってくる。
今日は、マネージャーを中心に、サブマネージャー4人、チーフ10人が揃っている。倉庫オープン前も一度このメンバーで集まったが、特に何もなく、ただマネージャーが通達を出しただけで終了したので、今回も30分くらいで終わるといいんだが……、無理か。今回は増築店のオープン前だし、1時間はかかるんだろう。
前の長机にマネージャーが1人で座り、その周囲を囲むように、4つのテーブルでコの字を作ってサブマネージャー軍、チーフ軍、山瀬が座る。
新任の草薙サブマネージャーの下に、家具の木内、貴金属の永峰、家電の椎名に続き、須藤、棟方、鳴丘サブマネージャー、やそれぞれの下が集う。
草薙サブマネージャーは確かにキレ者らしく、25歳という若さで次々とコーナーを仕上げていいっているそうだ。人使いが荒いがそれなりに上手らしく、一度その下で働いてみたいと素直に思う。
「それでは、定例会議を始める」
勝己のいつもの一言で始まった。ほとんどは資料にもある注意事項や段取りの再確認、質問提案タイムなどだ。だが、ほとんどは事前に上げられ照査されているので、ただ口にしただけというに過ぎず、形通りの40分が過ぎる。
「ではこれで質問がなけけば終わりにするが」
と、言った瞬間、溜息をつく暇もなく、
「あの」
永峰の声が聞こえて頭を上げた。
永峰は挙手している。
勝己はただ頷いてみせた。
「5月1日からのオンライン全品配送料金無料のことについてのご指示がありませんでしたが」
寝耳に水の香月は、飛び上がるように、永峰を見た。
リバティは現在もオンラインで注文を受け、本社で振り分けられた分を各店舗から配達に出しているが、送料はそれなりにかかるので、そこそこの数だ。
だがそれが、今やどこのオンライン店舗も実施していない、全品配送料金無料などと……。
「本当ですか!?」
香月は無意識に立ち上がり、勝己に問うていた。
「香月」
すぐに鋭い目つきの棟方にダメ出しされ、椅子に座り直す。
ただ、勝己は冷静に答えた。
「私はまだ何の報告も受けていないが、永峰チーフはその報告をどこから受けたんだね」
さすがにその口調には怒りがこみ上げていた。
「独自に本社から仕入れました。既に通達メールが来ています」
完全に断定したところをみると、嘘やはったりではなさそうだ。
「私はまだそれを見ていない。
それを見て、協議する必要がある場合は再び定例会議を開く。今は以上だ」
即座に勝己は立ち上がり、部屋から出た。
残された者は、各々溜息を吐くが、香月はさすがにそれだけでは済まなかった。
もし本当だとしたら……。
オンラインの作業員を増やさなければならない事態に頭を抱えている場合ではないが、そうせざるを得なかった。シフトの変更、流れの確認、場所の確保、早く帰るどころではない。
「あなた」
その、威嚇するような女性の声に、香月は再び顔を上げた。周囲中の視線が、草薙マネージャーに集まっている。
草薙の目の前には、机を挟んで永峰がいた。
「どうして私の判断もなしに、今ここで言ったの?」
まだ20代半ばの草薙が、50を超えたらしき永峰を完全に食っている。
「私が質問したかったからです。勝己マネージャーは皆さんに質問がないか、と問うたのですよ」
「言ってる意味が違っているわ」
草薙マネージャーが上をいっていることは明らかだったが、永峰のその、年齢と堂々たる風風格が、いかにも仰々しい。
「既にメールは届いています。私の発言は間違っていません」
下がらない永峰に、草薙が口を開いた瞬間、後ろから肩をたたかれて驚いて振り返った。
「……」
鳴丘が、手招きし、外に出るうよう親指を指す。
まだ言い合いを続けている2人と、取り巻きを後目に、先にドアの外へ出た。
「杉本に電話しとかなきゃ。永峰に気をつけろって」
携帯を見ながら笑って言う鳴丘は、さすがだ。見慣れているのだろうか。
更に、既に廊下の先へ行った棟方の後ろ姿を見て、ハッとオンラインのことを思い出す。
「その……」
「もしもし?」
鳴丘はこちらのことなどお構いなしに楽しそうに電話を始めた。しかし、足は動いていたのでそのまま黙って付いて行くことにする。
「荒れ放題だよ。今日はかなりキテるよー、永峰チーフ。絶対話しかけない方がいい」
相手は大根顔の杉本のようだ。
「え? いや、フフフフ、いや、面白がってはないよ、面白がってはないけどね」
明らかに面白がっている鳴丘は、そのまま一階の事務所に入り、自分のパソコンを開き、メールを確認した。
本当だ、最重要事項と名を打って、オンラインの件のメールが届いている。しかも受診時刻は10分前。
さすがに今の永峰は、正気とは思えない。
鳴丘はけらけら笑いながらも、その内容を素早く印刷してくれる。
手に取って確認する。中身は永峰が言った通り、全品送料無料だ。しかし、期限つきで、5月の1か月間と決まっている。
しかし……。
香月は、プリントから顔を上げる。他のメールも確認し終わった鳴丘も、ようやく電話を切った。
「応援が来るように手配はされているからシフト変更は大丈夫だと思うけど、場所の確保や流れの再確認、作業の最終責任者を確認しとかないといけない。虎丸さんは商品集めもダメだよ。絶対見誤るから」
寅丸はそういう所が雑だということは、既に香月も学習している。
「…はい。となると、出荷チェック者に柊さんをくわえますか?」
「いや、オンライン作業の出荷責任者は人数を増やさない方がいい。しんどいかもしれないけど、今まで通り、鳴丘、香月、山城でいこう。柊をいれると絶対精度が下がる。
オンラインは、注文した商品と届いた商品が絶対合っていることが最低の条件だけど、そこを覆すことがあるからね、うちみたいな、オンライン専門店じゃない場合は。
でも、そうなるわけにはいかない。数が増えても、絶対最終責任を取る覚悟の人間じゃないと責任者は任せられない」
早口でしゃべり倒した鳴丘は、先ほどまでのふざけた顔を捨てて、続けて携帯を触る。どうやら山城を倉庫事務所で待機させておき、話しに行くようだ。
「さあ、事務所に行って色々確認しとこう。もう時間がない」
「はい」
一気に負担がのしかかる。ありえないほど、急な展開に、息をのんでしまう。
「だぁいじょぅぶだよ」
ポン、と背中を叩かれ、思わず足が一歩前へ出た。
「僕がついているから、……ね」