絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅴ

チームSS

6月1日

 事件後、香月は2日ほどは休んだが、オンライン最終日ということもあり、そこからは休みなしで働いることがタイムレコーダーから分かる。

 6月に入り、オンラインの期間も終了すると、後は作業やトラブルのみに追われることとなるだろうと予感した、注文の量が一気に減るであろう1日。

 宮下は香月の携帯に電話をかけた。

 事件の翌日、現状だけ話すという短い会話をしたが、予想以上に元気そうだったので安心した。思えば、警察沙汰になったことは何度かあり、今回のはまだ被害もなかったので、軽い方なのかもしれない。

 リバティにきてからというもの、宮下としては香月を引き入れた以上、必ず後悔のないように、フォローしていかなければならないと考え、情報など、直接関係しそうなことで役に立ちそうなことのみ流していたが、予算変更の兼のことで勝己マネージャーに直接言われてからは連絡自自体を控えている。

 確かに、とがめられるようなことではないにせよ、一個人だけ特別扱いというのは、あまりできた話ではない。

 香月としても、チーフになると、情報もそれなりに入ってくるし、パイプもできてきただろうに、困ることはそれほどないだろう。

 コールを10回鳴らしても出ないので、切ろうとした時、

『はい!!」

 慌てふためいた様子で彼女は出た。その素直さがすぐに浮かび、思わず笑みがこぼれる。

「ああ、忙しいとこ、悪い」

『いえ……』

 随分走ってきたようだ。その様子が手に取るように分かることに、安堵しながら、

「今はどこ?」

『倉庫から事務所にきたところです。えっと、誰もいません』

 既に察しがついているらしい答えだ。

「……出社してからどう?」

『そう……ですね……』

 外に出ているらしい音がする。誰か人が来たようだ。

『そうですね……なんとか、変わらずできているとは思います。残業は他に人がいる時じゃないとしなくなったので、朝早く来るようにはなりましたけど』

「……残業が多いなあ……。まあ、新店だから仕方ないけど」

『そう思ってます』

「そうか……」

 なかなか、言葉が出ない。

『宮下部長は今、本社ですか?』

「ああ、そうだ」

『誰もいない、会議室とかですか?』

「ん、まあな……」

 見抜かれていることに、苦笑した。

『人事の内示ですね』

「……ご名答だよ」

『予感はしていました。事件の後すぐかかってきた電話もそうじゃないかと思ったくらいですから』

 笑うしかない。

「階級は横滑りだ」

『……』

 安堵している、という風には取れなかった。香月にとって、その辺りはあまり関心がないように思われる。

「6月15日付けで、香月愛をSSチームに所属することを、命ずる」

 文章をそのまま読み上げた。

『え、SS??』

「そうだ。エレクトロニクスにはそういう、店舗を飛び回るというチームはあるにはあったが、それは本社寄りの部隊だった。高岡部長が率いていた人物も、どちらかといえば店で手にあまる人物に束ねていたのに比べると、随分違う。

 ここも一応同じような形にはしているが、完全に独立しているし、独立した部長が全て指揮をとり、本社へ提案する形だ。しかも、基本は精鋭をそろえている」

『草薙サブマネが以前そこにいたという話を聞きました』

「そうだ。以前は彼女がそこの指揮官で、今はとりあえず本社の人間が代用をしているが、今の北店がお落ち着いたら、勝己マネをそこの部長にするという案が最初から出ていた」

『………え!?』

「権限が全て与えられた状態では草薙は動きすぎるからな、けん制されたんだ」

『…………、階級社会、ですかね……』

「そう決めつけるわけではないが」

『……そしたら、勝己マネージャーが、部長になって。私も配属されて……。確か坂東さんという方が副部長だと聞きました』

「そうだ。後は女性2名のベテランと、香月と。もう1人女性がいるが、今回北店からの配属だから知っているんじゃないか? 名前は、歌川 あかり(うたがわ あかり)」

『さあ……サブチーフか何かですか?』

「いや、ただの平だ。まだ入社して間がない新人だ」

『全く』

「女性はその4人で、後は男9人、と、役職者だ」

『それで』

「それで、各店飛び回る。休みは週に1、2回。基本はホテル暮らしだ」

『……大変ですね』

「香月はそういうところに配属されたことがないし、まあ、俺もないけど、いい経験にはなると思う」

『……それってやっぱり今回の事件のことで、の異動ですか?』

「そうだ」

 その問いには即答すると決めていた。

「役職がつくと、そのトラブルの責任はとらなければならない。それはどこの会社にいても同じだ。エレクトロニクスはその面他社に比べれば随分優しいが、ここは、厳しい。その中でもよく横滑りで済んだんだよ」

 言いながら、上部からの香月を過剰に守るという妙な圧力をうまく抑えきれていない事と、さっそくトラブルになってしまったことへの申し訳なさでいっぱいになる。

 この事態で横滑りは、本来リバティではありえない処遇だ。附和専務のこともそれなりに知られ始めているので、周囲からとやかく思われるだろうに、香月の性格ならそれに耐えられなくなるだろうに……。

「そうですね……でも、頑張ってみます」

 香月が文句を言うわけはない。ほっとした半面、更に罪悪感でいっぱいになる。

 リバティに移ることを視野に入れた時から、こんな事が予想できないわけではなかった。誰しも仕事にミスはつきものだからだ。

 だが、左遷というのはどこの会社でも起きることだし、また本人にとって居場所を変えてやるのはいいことだと心底思っていたし。

「ほっとしました。引っ越しするはめになったら面倒だと思っていたので」

 その、一言に自分が救われてしまう。

「……みんな、住んでる場所はバラバラだよ。そのままのアパートで十分だと思う」



6月8日の月曜日、辞令が発表された。勝己ストアマネージャーから他へ変わるという事態に驚いたのは、平だけだった。役職者達は1日の段階でこっそり知らされていたのだという。これも、内示は絶対秘密主義のエレクトロニクスではあり得ない事だったので、香月はリバティのその暗黙の了解を山瀬から聞いて、驚いた。

 送別会は小ぢんまりと開かれる。3人の女子会議もすぐに開きたかったが、香織の予定が合わず、次回と流れた。

 流れたがその月は流れただけで、翌月という可能性が高い。

 香月も山瀬も、香織も、それなりにこの女子会議を楽しんでいるらしかった。

 香月はほぼ倉庫にいるので、香織には全く会わないが、山瀬には会議などでは会うし、最初に仲良くなったのが山瀬というだけあって山瀬との仲は離れないだろうと思っていたが、香織も同じように思っている事が最近になって伺えて、嬉しかった。

 しかし嬉しい反面、その旦那と同じチームになり、各店を飛び回り、ホテル暮らしをするというのは少し気が引けた。絶対に疑われないようにしたい、という気持ちを強く持っておく。

 まあ、勝己自身にそのつもりなど微塵もないだろうが。

 何せ、そういう、浮気とか自分が社会的に不利になりそうなことには毛ほども興味を示さない風に見受けられる。

 階級制度絶対主義、完璧主義……プライドが高い、弱音は吐かない、諦めない、やり遂げる、そういう強い精神力でできたような人間だ。

 美月からの話でも弱点らしきことは読み取れず、絵にかいたようなマネージャーのようで近寄りがたく、近寄るタイミングもなかったので良かったが、今回からはそうはいかない。

 6月15日月曜日の異動初日。

 まずは本社で顔合わせとなった15名は、『自由』という言葉がぴったりなメンバーだった。

 特に、制服がないせいでそう思うのかもしれないが、スラックスにジャケットという者もいれば、ポロシャツだったり。さすがにジーンズという者はいないにせよ、随分型崩れな雰囲気だ。

 男性は、既に9名、勝己以外の全員が来ている。熊のような男が坂東だと聞いていたのですぐに分かったが、どうも草薙サブマネが相手にするような雰囲気には見えない。ジャケットなど、服装からはそれなりにセンスの良さは感じるが、巨体と粗雑そうな雰囲気がまるで合いそうにない。

 あとは、年齢もバラバラだが、それなりに雑談をしていて良さそうな空気間だ。

 女性は香月以外に新人が来るという話は聞いていたが、若い女性が2人いて、どちらかが新人新人でベテランなのかは見ただけでは分からなかった。

 同じ北店から1人配属になるとは聞いていたが、どんな風だということを少し聞いただけで、結局会わずじまいだ。しかし、

「香月さん、よろしくお願いします」

 適当に腰かけるなり近寄ってきて、一番に話かけてきたのが新人らしかった。

 こちらも、とりあえず挨拶だけしたが、チーフとして顔と名前を知られていたのだろう。

 その彼女は黄色いスカートをひらひらと履いてハイヒールを履いてきている。

 しかも、他の女性も本社の事務らしい恰好をしている。

 今日すぐにでも行動できるように、と低いスニーカーもどきの靴を履き、チノパンにカットソーという姿は、1人、カジュアルすぎて浮いていやしないかと、改めて心配になっていた。

 更に、最後に入ってきた明らかにベテランの女性は短いスカートにかなりのハイヒールで、一気に自分が場違いになったことを悟る。

 時刻になってから、勝己が登場する。勝己も、いつもの制服とは違う自前のスラックスにオリーブグリーンのジャケットにノーネクタイで、随分若々しく見える。

 勝己の、店とは違う雰囲気を見て、香月は1人ほっとした。

 開始早々勝己は、全員にプリントを配り始める。

 それは、北エリア新店舗建設の段取りと役割が事細かに取り決められた書類をはじめとする、数店舗の改装と増築、新店舗建設案だった。

 何も聞かされていなかった香月は、のめりこむように見つめる。ボールペンを片手に1時間以上聞き入ったが、どういう事態になるのかエレクトロニクスでも経験がなく、質問もできずに、理解しきれないまま、会議は終わった。

 皆が早々と席を立つ中、無言でもう一度最初から書類を見つめる。

「あのぉ、分からないことがあったら、なんでも聞いてください」

 後ろに座っていた若い女性が声をかけてくれた。こちらは、宮下がベテランと言っていた方だ。

「あの、私は増田 楓(ますだ かえで)と言います。あ、で、こっちが廣瀬 夏帆(ひろせ なつほ)さん。あ、特に夏帆さんは10年選手なんで、なんでも聞いて下さい」

 増田の更に後ろに座っていた廣瀬は、緩やかにウェーブした長い茶色い髪の毛が印象的なキャリーウーマン風の女性だ。黒のワンピーススーツのスカートから出た長く細い膝も綺麗で、足元まで完璧に年齢を感じさせない。

「初めまして、廣瀬です。もう面倒だから、夏帆って呼んでね」

 にこりとする顔が、自然でほっとした。

「あ、ありがとうございます。私は香月です」

 頭を下げて、北店から来たとか自己紹介を続けようとしたが、

「エレクトロニクスから来たんでしょう?」

 と、夏帆に先手を取られてぎくりとする。

「え、まあ……」

「今日の書類とか読んで、どうでした?」

 ベージュのパンツスーツの増田はずい、と身体を前のめりにして聞いてくる。ショートヘアーの毛先と、胸元の小さなダイヤのネックレスが揺れたのが目に留まった。

「え、いや……私もエレクトロニクスでは、新店や増築にかかわった経験がないので、初めてのことなのでよく分からないなあと……思いながら……」

 スーツを着てくればよかった、と心底後悔しながら、しりすぼみになる。

「結構体力的にキツイかもしれないわねえ、最初は。今日は作業するつもりでその恰好で来たの?」

 廣瀬は構わず聞いてくる。

「あ、はい……一応、でも、スーツでくれば良かったなと、すごく後悔しています」

 言った瞬間、聞いてくれてありがたいと素直に思った。

「いや、それはまあいいけど、今日はただのミーティングだし。でも、服は色々持って行ってた方がいいよ。私はいつもブラウスと、ティシャツとジャージと色々持って行ってる。けど、普通はスラックスにブラウスって事が多いかな」

「私は、チノパンにポロシャツが多いです」

 スラックスにブラウスは廣瀬特有のものだと言いたげな、増田の間だった。

「ホテル暮らしも長くなると大変だから、体調には気を付けてね。そんで、仲良くしてね」

 下手に出てくれた廣瀬はそれでも手を出してくれ、本当に助かる。

「そんな、こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 香月は頭を下げながら、2人と握手を交わした。

「歌川(うたがわ)さんとも挨拶したいな……」

 廣瀬は前を見る。と、勝己と親しそうに話をする、元北店の新人、歌川 あかり の笑顔が見えた。

「……」

 勝己が笑っている。

 勝己が本当に心底楽しそうに笑っている姿に一瞬身体が停止したほどだった。

 店を一店舗任されていると、いやでも下からの視線を気にして笑顔ではいられなかったのかもしれない。

 ここにきて香月は、ようやく香織が勝己と結婚した理由が分かるような気がした。

「私、歌川さんと同じ店にいたんですけど、今日会うのが初めてで」

「そう……でも、仲良くできるよ。きっと。香月さん、お酒は飲む?」

 廣瀬の質問に増田は

「私は飲まないですから」

と、すぐにフォローを入れる。

「あ、はい。私は飲めます」

「今日はこれで終わりだし、どっか行く?」

 拍子抜けした。今日は午前中の会議のみで後は退社するだけなようだ。しかも、今それを知らされる。

「って言ったってまだ昼ですよ。飲むも何も」

「いいじゃない昼飲んでも」

「まあ、いいですけどー。じゃあどっか、ワインがおいしいイタリアンとか……」

「そうね」

 すぐに増田は携帯電話を取り出した。

「私は今日は出社で、明日明後日休みなの。で、今日はたまたま子供が高校の遠征旅行でね。主人も飲みに行くっていうからたまには1人にしてあげようと思って、今晩は帰らないことにしたの」

 夏帆にそんな大きな子供がいるようには到底見えなかったので、驚いた。

「だから、夜は夜で歓迎会しましょうか」

「店変えるだけでしょ」

 増田は仕方なさそうに笑っているが、内心、この飲み歩きのことをどう思っているのか、知りたくなった。

「女子会がいい? 混合がいい?」

 わざわざ香月の意見を反映しようとしてくれるのはいいが

「私は、どちらでも大丈夫です」

 あまり遠慮しているようには見えないように、目を見て言い返す。

「あそう。

ハーイ!」

 突然夏帆は、右手を挙げて立ち上がった。

「今日都合が合う方、歓迎会しませんかー?」

 部屋にはまだ多分全員いるだろうか。勝己が「以上」と言ってから、随分時が経ってしまっている。

「おう」

 坂東が笑いながら手を挙げる。

「私も」

 と、増田も手を挙げたので、人数を確かめる気なのかと、香月も手を挙げた。

「私は遠慮しておく」

 勝己はさりげなく言うと、

「じゃあ私も……」

 何故か、歌川も遠慮したのが意外だった。見た目にはそういう集いが好きそうなタイプに見えたからだ。しかも、女子4人中3人が参加するというのに、この度胸。

 いや単に、用事があったのを都合よく「じゃあ、私も」という具合で切り抜けたのか。

 勝己は予想通り家庭があるからだろう。是非早く帰って、香織と一緒に過ごしてほしい。

 後は男性数名が挙手し、合計7名となり、残りは勝己同様、明日明後日休みだから今から自宅へ帰るとという理由がほとんどだった。
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