ママはキャリアウーマン
短編(読みきり)
「今週も会えないって。」
その言葉に泣かなくなったのは、いつだっただろう。
無理にでも涙を抑えられるようになったのは、いつだっただろう。
慣れてしまったのは、いつだっただろう。
そうやって自分を振り返ると、私は無感覚で冷たい人間になったんじゃないかと不安になることがある。
それでも、あなたに会えない生活はすっかり平気になっていた。
だからって、この人まで平気になる訳ではない。
「萌、ママはまた今週も帰って来られないんだって。」
私の部屋の扉を静かに開けながら、パパは落胆したように日課になりつつある1文を吐いた。
「そっか、お仕事忙しいんだね。」
苦し紛れに少し励ましてみても、パパはつらそうな難しい顔をするだけだ。
私がママのいない週末に慣れてしまっても、パパはまだ私が小さくて泣きじゃくりながら駄々をこねていたあの頃と変わらない顔をする。
この報告をする時のパパだけは、何度見てもいたたまれない。
今回の“会えない”は長い。
もう半年は会っていない。
昔は自分が感じる淋しさでいっぱいで、パパの気持ちも考えずママに会いたがったけど、今は週末が近づく度にパパのために帰ってきてほしいと願う。
「萌がパパのお嫁さんになってあげる!」
パパのほうが淋しいんだと初めて気がついた時、パパに強く誓った言葉だった。
「ありがとう。」
パパがいつもよりさらに穏やかに、嬉しそうに言ったのを見て、とても心が晴れたのを覚えている。
その頃は必死だった。
ビーズで結婚指輪らしきものをペアで作ったし、家事もできる範囲でママのまねごとをした。
パパのことを「パパ」じゃなくて、ママと同じように「たっくん」と呼ぶようになったのもこの頃だった。
でもそれからしばらくの時を経て、私は悟った。
私がどれほど頑張ろうとも、ママの代わりは私には務まらないと。
小さいうちはパパの笑顔はどれも同じに見えたし、「萌」って少し大人っぽい口調で言われる度にくすぐったかった。
パパが私の努力で淋しがらずに済むと本気で信じていた。
今でははっきりわかる。
ママが帰らないとわかった週のパパの笑顔はぎこちなくて堅くて、ニセモノだ。
本人はきっと無理矢理作っているつもりなんてないだろうけど、どこか喜びきれていない感じがする。
ママのいないところで、ママの見ていないものを喜ぶことに責めを感じているような、そんな感じ。
「たっくん、今週末ケーキ食べに行こっか。この前おしゃれなところ見つけたから、ね?」
パパは本人の気づかないぎこちなさで、やったーとおどけてみせた。
これも変化したことの1つ。
昔はパパが私を淋しがらせないように遊園地やテーマパークに出かけていた。
でも最近じゃ、私がパパの悲しい顔を見ていられなくて、デートに誘っている。
少しでも気が紛れるなら、と。
そんなふうにいつの間にかパパを子ども扱いしていた部分もある。
それでも。
ベッドへ入る頃、私はママ代わりのお嫁さんからママの娘に戻る。
ママ、パパ淋しがってるよ。
早く帰ってきてあげて。
そう心の中で呟いたはずなのに、私の目から涙がこぼれた。
理由なんてわかるはずもなかった。
自分にはなにもできないという無力感?
それともママが私たちに抱く思いへの疑い?不安?
なにがなんだかわからないけれど、今回ばかりはなにかが壊れて涙が止まらなかった。
ママが昔、「私の代わりね」って言ってプレゼントしてくれた、ママの香水つきの大きなテディベア。
今じゃすっかり私に染まって、もうママの匂いなんてしなかったのに、今日は柔らかいママの匂いがした気がした。
私は今日この日のこの瞬間、パパは私よりつらい、という以上の深い気持ちを感じた。
ママから帰れないという知らせが届く度に露骨に元気がなくなるパパを、弱いと思っていた。
今さらその間違いに気づくなんて。
あんなにつらいのに、私につらい思いをさせないよう、いつもパパは一生懸命だった。
そして何より、いつまでも変わらない切ない顔は、いつまでも変わらないママへの愛の現れだった。
日曜日の朝8時。
「なんで目覚まし止まってるの!?」
1時間の寝坊に焦る。
ん?なんか焦げ臭い、危ない臭いがする。
パパはなにかを焦がしたりなんかしない。
「ママ!?」
キッチンへ飛び込むとママが頭を掻いていた。
「あぁ、またやっちゃった。どうしても料理だけは苦手なのよね。また焦げちゃった。萌にもう少し寝ててもらおうと思ったのに。」
「なんで?ママ、お仕事は?」
「なんで?じゃないわよ。萌、早く帰ってきてって私に言ったでしょう?」
きょとんとする私に、さらにママは、親だものわかるわよ、と付け足した。
何はともあれ、ママの急な帰宅に喜びを噛み締めて感動といこうと思ったところで、
「やっぱり苦手なことはやるもんじゃないわね、朝ごはんは萌に任せるわ。」
とママが言うから私はすっかり力が抜ける。
でも……そんなママが私は好きだ。
パパはもう少し寝かせておこう。
きっとすごく驚くな。
それで3人でケーキを食べに行こう。
きっとすごく甘いはず。
その言葉に泣かなくなったのは、いつだっただろう。
無理にでも涙を抑えられるようになったのは、いつだっただろう。
慣れてしまったのは、いつだっただろう。
そうやって自分を振り返ると、私は無感覚で冷たい人間になったんじゃないかと不安になることがある。
それでも、あなたに会えない生活はすっかり平気になっていた。
だからって、この人まで平気になる訳ではない。
「萌、ママはまた今週も帰って来られないんだって。」
私の部屋の扉を静かに開けながら、パパは落胆したように日課になりつつある1文を吐いた。
「そっか、お仕事忙しいんだね。」
苦し紛れに少し励ましてみても、パパはつらそうな難しい顔をするだけだ。
私がママのいない週末に慣れてしまっても、パパはまだ私が小さくて泣きじゃくりながら駄々をこねていたあの頃と変わらない顔をする。
この報告をする時のパパだけは、何度見てもいたたまれない。
今回の“会えない”は長い。
もう半年は会っていない。
昔は自分が感じる淋しさでいっぱいで、パパの気持ちも考えずママに会いたがったけど、今は週末が近づく度にパパのために帰ってきてほしいと願う。
「萌がパパのお嫁さんになってあげる!」
パパのほうが淋しいんだと初めて気がついた時、パパに強く誓った言葉だった。
「ありがとう。」
パパがいつもよりさらに穏やかに、嬉しそうに言ったのを見て、とても心が晴れたのを覚えている。
その頃は必死だった。
ビーズで結婚指輪らしきものをペアで作ったし、家事もできる範囲でママのまねごとをした。
パパのことを「パパ」じゃなくて、ママと同じように「たっくん」と呼ぶようになったのもこの頃だった。
でもそれからしばらくの時を経て、私は悟った。
私がどれほど頑張ろうとも、ママの代わりは私には務まらないと。
小さいうちはパパの笑顔はどれも同じに見えたし、「萌」って少し大人っぽい口調で言われる度にくすぐったかった。
パパが私の努力で淋しがらずに済むと本気で信じていた。
今でははっきりわかる。
ママが帰らないとわかった週のパパの笑顔はぎこちなくて堅くて、ニセモノだ。
本人はきっと無理矢理作っているつもりなんてないだろうけど、どこか喜びきれていない感じがする。
ママのいないところで、ママの見ていないものを喜ぶことに責めを感じているような、そんな感じ。
「たっくん、今週末ケーキ食べに行こっか。この前おしゃれなところ見つけたから、ね?」
パパは本人の気づかないぎこちなさで、やったーとおどけてみせた。
これも変化したことの1つ。
昔はパパが私を淋しがらせないように遊園地やテーマパークに出かけていた。
でも最近じゃ、私がパパの悲しい顔を見ていられなくて、デートに誘っている。
少しでも気が紛れるなら、と。
そんなふうにいつの間にかパパを子ども扱いしていた部分もある。
それでも。
ベッドへ入る頃、私はママ代わりのお嫁さんからママの娘に戻る。
ママ、パパ淋しがってるよ。
早く帰ってきてあげて。
そう心の中で呟いたはずなのに、私の目から涙がこぼれた。
理由なんてわかるはずもなかった。
自分にはなにもできないという無力感?
それともママが私たちに抱く思いへの疑い?不安?
なにがなんだかわからないけれど、今回ばかりはなにかが壊れて涙が止まらなかった。
ママが昔、「私の代わりね」って言ってプレゼントしてくれた、ママの香水つきの大きなテディベア。
今じゃすっかり私に染まって、もうママの匂いなんてしなかったのに、今日は柔らかいママの匂いがした気がした。
私は今日この日のこの瞬間、パパは私よりつらい、という以上の深い気持ちを感じた。
ママから帰れないという知らせが届く度に露骨に元気がなくなるパパを、弱いと思っていた。
今さらその間違いに気づくなんて。
あんなにつらいのに、私につらい思いをさせないよう、いつもパパは一生懸命だった。
そして何より、いつまでも変わらない切ない顔は、いつまでも変わらないママへの愛の現れだった。
日曜日の朝8時。
「なんで目覚まし止まってるの!?」
1時間の寝坊に焦る。
ん?なんか焦げ臭い、危ない臭いがする。
パパはなにかを焦がしたりなんかしない。
「ママ!?」
キッチンへ飛び込むとママが頭を掻いていた。
「あぁ、またやっちゃった。どうしても料理だけは苦手なのよね。また焦げちゃった。萌にもう少し寝ててもらおうと思ったのに。」
「なんで?ママ、お仕事は?」
「なんで?じゃないわよ。萌、早く帰ってきてって私に言ったでしょう?」
きょとんとする私に、さらにママは、親だものわかるわよ、と付け足した。
何はともあれ、ママの急な帰宅に喜びを噛み締めて感動といこうと思ったところで、
「やっぱり苦手なことはやるもんじゃないわね、朝ごはんは萌に任せるわ。」
とママが言うから私はすっかり力が抜ける。
でも……そんなママが私は好きだ。
パパはもう少し寝かせておこう。
きっとすごく驚くな。
それで3人でケーキを食べに行こう。
きっとすごく甘いはず。