サイレント・キス 〜壁越し15センチの元彼〜

ぐるぐると思考を回転させて考えてみたけれど、答えなんて出るわけもなかった。気づけば朝比奈さんはすぐそこまで歩いてきていて、私には既に、ただの部下を演じる他に選択肢が無くなっていた。

一歩、一歩、足を踏み出す度に胸の鼓動が高鳴り、苦しくなる。

ずっと下に向けていた視線をほんの少しだけ上げた。その時。


「お疲れ様」


朝比奈さんから、声が掛かった。

顔を上げて見てみると、いつもと変わらない声と、いつもと変わらない表情。

にこりと爽やかに笑った朝比奈さんは、ちゃんと私の『上司』だった。


「……はい。お疲れ様です」


私も精一杯に『ただの部下』を演じて、少しだけ頭を下げた。

私は、そのまま視線を落として、朝比奈さんの背中から逃げるように足早に会社を去った────。



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